|
S a c r i f i c e / サ ク リ フ ァ イ ス
第五章( 5 )
リシュアは走る。
魔力の渦巻きが強くなっていく方を追っていくと、段々とリシュアの家に近づいて行く。カナンの森の方角だ。カナンの森。セインレドとマーベリックの北部一帯に広がる、巨大な森。
リシュアはそこで、幼かった日のことを思い出した。
エルクラウドにあった叔父の家に、兄妹で遊びに行った帰りだった。エルクラウドの裏路地からも続くカナンの森へリシュアが勝手に迷い込んで行き、フレイスが助けに来てくれたものの、道が分からなくなってしまった。夜まで彷徨い、リシュアはフレイスの背中におぶわれていた。
そうだ。あの森。
入国審査はこの際いい。どうやって城下都市の検問を超えて来たのか、それが不思議だった。
けれど今思い出した。あの森には、地元民ですら知らない、城下とエルクラウドを繋ぐ道なき道があったのだ。確か、長い草が生えた一帯を通り抜けていくと、大きな岩が落石しており行く手を完全にふさいでいるところへ出たはずだ。
こっちが城下の方角で間違いないからといって、兄はその身体能力で、リシュアをおぶったままその岩を乗り越えてしまった。そうして、今リシュアが走っている裏路地を逆に行って、父や屋敷の者たちが心配している城下まで戻ることができたのだ。
どうして忘れてたんだろう。小さかったから?
――いや。兄が生きていると知ってから、リシュアは兄のことを極力思い出さないようにしていた。だからきっと、そんな昔のことも忘れてしまっていたのだろう。
そうして走っていると、魔力の渦の中心地へと次第に近付いていく。やはりカナンの森のなかだった。
「リセ、止まれ」
突然響いたのは、やけに落ち着いた声だった。
当時の少年らしさが抜けた、誰か知らない大人のような声。
それは真後からした。
「――――!」
「久しぶり」
言うなり、フレイスは彼女の手を取った。
そのまま少し引っ張るようにして、城下都市の方へ歩いて行く。
「何、するの。離して……」
フレイスに会ったら、思いきり国家への反逆云々を叫び、叩きつけてやろうと思っていた。けれど現実には、兄の姿を見、声を聞き、触れられるだけで恐ろしく動揺している自分自身がいた。リシュアは、八年前、たった一人の肉親になってしまった兄が自分を置いて行ってしまった時、怖くて、寂しくて、かなしくて仕方がなかった。
当時の心細い、一人ぼっちの心境が思い出されて、リシュアは無性に泣きたくなる。
「魔力剥奪は止まらない。俺たちの勝ちだよ。城下都市に戻って、国民の無事に尽力した方がいい」
「――ふざけないで!」
やっとその手を振り切ることができた。
なぜ、絆されそうになっているのだ。こんな、自分を置いてきぼりにして、今は国に逆らっている男を。
「ふざけないでよ。風が止まればこの国は滅ぶ!」
「ひとが生きてる限りは滅ばない。それにお前が止めに入ったところで、もう何も止まるものはないよ。取りだした魔力を大地に還すことができるのは、魔力を取り出した者だけだ」
「そう思うなら試してみる?」
リシュアを纏う空気が一変した。
轟々たる風が彼女を取り巻く。――セインレドを離れ、今は牙をむくフレイスにはない守りの風。
「ここは風の国。我らが神風を奪わんとする者よ、制裁を受けなさい」
増幅する風によって巻き起こされる砂嵐。フレイスは目を細めて受け流す。
(リセは、肉弾戦に持ち込めば勝てる)
彼女の逆鱗に触れたのは確かだった。触れたのは、随分と前のことだったかもしれないけれど。
温和な再会、安易な仲直りは無理のようだ。
最初から期待していないけれど。
期待してはいけなかったけれど。
「言わなきゃ伝わらないことばかりなのに、お兄ちゃんは昔から何も言おうとしなかった。言えないつらさが言えないひとにしか分からないことは私にだってわかるよ。でも、それは本当に言えないことなの? ただ言おうとしてないだけじゃないの? 何を基準に言うとか言わないとか、頼るとか頼らないとか決めてるのよ。あなたが、お兄ちゃんが知ってるのは八年前までの泣き虫で小さかった私でしょ、今の私のことなんか何にも知らないでしょ、それなのに、ただ巻き込みたくないだの、何だのって一体何なのよ!! 勝手にか弱い存在にしないで!!」
リシュアの両手から雷が発生し、一直線にフレイスを貫かんとするが、彼は人間離れした俊敏さで横っ跳びしてかわす。
その表情は、まるで子どものようだ。唇を噛み、何かを我慢するような表情でリシュアをじっと見つめる。
「いつだって俺は必死だった。必死ということが最良であるということに繋がらないと悟ったのはだいぶ後のことだったけどな。……俺は、物心ついたときから、自分が周囲の人々とは違うことに気付いてた。選民思想とかそういうのじゃない。ただ、違うということが分かったんだ。俺には生まれ付いての力があった。周りのひとたちを、か弱いものとして見ていたことは事実だよ。実際にそうだったんだから。きっとあのひとたちは、俺が力いっぱい抱きつくだけで、怪我をしてしまう。本気で剣を振るったら、傷付けてしまう。俺は自分自身の身体能力や、制御できない魔力や色んな感覚なんかを持て余していたけれど、でも力があることを嬉しく思ってた。力があれば何があっても守れると思ったから」
「………………」
「俺は止まらないよ。止めたければ、力で押さえつけるしかないね。か弱い存在じゃないというなら、それを証明してくれ。俺を殺してでも止めてやるっていう意気込みと実力を見せろ。遠くで魔女たちが考えたあの身勝手な計画を吹き飛ばしてしまうほどの力を見せろよ!! そうしたら俺は何も考えずに死ねるんだ……」
フレイスの身体から冷気がほとばしる。リシュアも纏う風を吹雪に変えて対抗する。
秋を通り越して真冬がやってきたかのような、白く寒い世界。
「そこをどいて」
「嫌だね」
冷気がぶつかりあって、戦いがはじまる。
(間合いを詰めれば負ける。時間をかけたら魔力剥奪が終わる……)
リシュアは突風でフレイスの身体を押し返し、できるだけ詠唱のない魔導を繰り返し放つ。
火炎の弾丸、氷の刃、落石、落雷、閃光。
あらゆる生き物には耐性のある属性とない属性がある。兄の弱点を早めに見極めたかった。
しかし。
(ない……?)
無いどころの話か、詠唱不必要な程度の魔導ならば、くらっても平気なようにすら見える。
兄の持つ膨大な魔力のせいか。
でも。
「私は、この国を守る」
リシュアの背後で冷気が凝結して、いくつもの巨大な氷塊が造られ、宙に浮く。
「通す気はないんだよね?」
「ないよ。言っただろ」
氷塊が杭の形となって、一斉にフレイスに降り注ぐ。
本気で殺す気だ。フレイスは笑った。自暴自棄にも似たわけの分からない笑い。
腰のレイピアを抜く。――ただ一つ王国から持ち出した騎士団のレイピア。
ひとつ、ふたつ。次々と砕き、切り捨てる間にも、氷の杭は次々と生まれ、降り注いでくる。
「死んで」
「そういうわけにはいかない」
「しんじゃえば、いいのに……!」
涙声に気付いて、一瞬剣の振りが遅れる。かろうじて避けたが、左肩を思い切りえぐられた。
焼けつくような痛み。
あのときと同じ。
『お待ちくださいませ。わたくしは、この国で横行をはたらいた者どもの仲間ではございません。わたくしはサフィエラさまの従者、あなたさまの味方でございます』
八年前、霧の中で出会った魔女。
『サフィエラさまのご意思を継ぐのはあなたさましかいないのです』
俺に力があったから。
選ばれてしまった。
『あなたさまの大切なひとが、大切な場所が、このままではすべて失われてしまう』
どうすればいいんだよ。
俺は一体どうしたらよかったんだ。
なにが正解なんだ?
なにが最善なんだ?
俺はいま、大切だった場所で、大切だったひとに剣を向けてるじゃないか。
大切な場所からも、大切なひとからも憎まれて。
“ そうしたら俺は何も考えずに死ねるんだ…… “
さっき口走った言葉。口にしてから気付いた。俺はずっとそう願ってたんだ。
ずっと苦しかった。
死にたいと思うことがたくさんあった。
帰りたかった。
会いたかった。
どうして俺は戦いの中に身を置いているんだろう?
諦めればいいんじゃないのか。
世界も、大切なものもすべて捨ててしまえばいいんじゃないのか。
守りたければ、自分で守ればいい。
それが普通だろう?
『あなたさまの持つお力で、どうか』
俺が何の力を持ってるっていうんだよ。
魔力の渦巻く気配に、現実へと引き戻される。
遠くではまだ、ソフィアがこの国の大魔力と闘っている。それをエストラルが支えているのだろう。
ヴァークとレイチェルは、騎士団相手に立ち回ってでもいるのだろうか。いや、まだリセ以外の人間はここに来ていないから、ソフィアとエストラルの傍にいるのか。
(ここであきらめたら、なんのために、四人といるんだ)
それでも心がつめたい。
こんなにも挫けそうになってしまったのは、八年前以来だろうか。
冷気を吸いこみ、掠れた声で呟く。
「俺は、強くなんかないんだ。いつだって誰かに縋りつきたかった。諦めて家に帰って、災厄が俺たちを殺してしまうまでずっと平穏に暮らしていたかった。リセ、俺が何も言えなかったのは、俺が弱かったからだったんだ。……誰かに言って、頼ってしまったらもう、戦えなくなってしまう気がして」
地面に転がったフレイスの上空に氷の杭が生まれていく。その鋭い切っ先が光った。
避けられない。
目を閉じかけた刹那、その視界の端に、無表情のまま氷を操るリシュアの姿が映る。
――白い冷気のなかで、凍りつく、涙も。
その瞬間にフレイスの凍りかけた意識が覚醒する。
(妹に嫌われたくらいで――俺は、何を弱気になってるんだ?)
自分で選んだ道だろう。
つらくても、行くと決めたんだろう。
(リセに、俺を殺させちゃいけない)
そんなことをしたら、あいつは傷を負う。
大切なひと。
唯一の肉親。
守りたくて、ここにいるはずなのに。
「後悔は一番最後だと、決めただろうが……!」
氷の雨が降る。
フレイスは咆哮とともに、レイピアを高く振りかざした。
誰かを守るための騎士の剣。
――俺は、守る。
← / × / →
|