S a c r i f i c e  /  サ ク リ フ ァ イ ス
第五章( 4 )


 九月も半ばを過ぎた。
 いよいよ城下の警戒態勢は強まっていく。それに伴って増える公務に追われ、家臣や騎士や魔導師のみならず、王族もまた大忙しであった。
 プリムローズが忙しくなったせいで少し荒れ気味の空中庭園を横切り、グレインは階段で地下一階の騎士団サロンへ足早に向かう。険しい顔立ちで通り過ぎていく彼の姿に、メイドたちは何か恐ろしいことが起こるのだと不安を強めていたが、険しい表情の理由は多忙なだけではない。
 ――とにかく、頭が痛い。
 痛いだけじゃない。喉がひりつく感じがするし、うまく言葉が出てこないことが多くなった。ついさっきまで考えていたことが思い出せない。すぐに苛々する。指先がしびれる。目の焦点が合わなかったり、音が遠くで聴こえるように感じる。
 おぞましいほど体調が悪い。
 騎士団サロンの扉の前まで来ると、彼の到着を待っていた騎士によって扉が開かれる。
「グレイン殿下、ご到着なされました。これより会議を始めます」
 八年前の例から始まり、警備体制や戦闘となった場合の対処などを話し合っていく。霧生の乱が起こったのは昨年十月の始まり。もう猶予はない。最終確認のようなものだった。
 それらの話を、グレインはどこか遠くで聞いている。まるで彼の中にもう一対の耳があって、その耳が代わりに話を聞き、そして代わりの脳がそれを理解しているかのようだ。
 時間がない。
 待っている暇はない。
 準備はできているか。
 構わん、向かえ。
「一刻も早く……」
 呟いたグレインの声があまりにも異質で、騎士団の会議室は一瞬静まる。
 それまで黙って会議を聞いていた騎士団長バーンスタインが、目を開いてグレインを見つめる。
「殿下。なにか……」
「――!?」
 殴打のような痛みによってグレインは我に返った。
 しかし、後頭部に生まれたその痛みは、そのまま前のめりに彼を押し倒す。
「殿下!」
 医者を、と騒然とする会議室の喧騒も、どこか遠くの出来事のようだ。
 石化し閉ざされていくようだ。視界が、音が、神経が、心が。
(いい子だ)
 誰かがそう言って、気味が悪いほど優しく頭を撫でてくれたような気がした。
 その瞬間、グレインの意識は凍り付いた。



 国王執務室にて。
 カースはしばらく缶の中身を見つめていたが、やがてその鬱屈とした顔を上げた。
「調剤した鎮痛薬が全て無くなっていますね。……いえ、この白い錠剤は、そう強くもないもので、殿下がいつも服用なさっていたものです。無くなっているというのは、橙色をした錠剤の方で、副作用が出る可能性もある強めの薬です。殿下とご相談して、抑えきれないほどの頭痛で苦しい時にと、一日一錠のものを……一番最初に処方したのは、今年の五月です。リビティア殿下の生誕祭の前ですね」
「一番最近に処方したのはいつだ?」
「……九月に入ってすぐです。忙しくて請求するのがままならないから、まとめてくれないかと仰られたので、一ヵ月半はもつ分をお出ししました」
 国王は溜息を吐いた。
「薬の副作用で倒れたのか?」
「お医者様とも話し合いましたが……眠気以外には、大した副作用は出ないのです。ひとによっては嘔吐感などを感じる場合もありますが」
 騎士団会議は、バーンスタインを総責任者として続けることを命じてきた。国王は、未だ慣れぬ医務室の真っ白な部屋を思い出して憂鬱になった。
「痛いなら痛いで言えばいいものを」
「性分なのでしょうね。……それにきっと、言ってもどうにもならないし、いちいち言ってたら、仕事にならないと思っていらっしゃったのですわ。慢性的な持病を持つ方って、そうなんです。いつもの症状だし、ずっと休むわけにはいかないから、と言って頑張っているうちに、つい無理をなさってしまうのです」
「……困ったな」
「魔導による干渉を受けているとリシュアさんはおっしゃっていたことがありますし、もしかしたら、以前お話にも出た、何らかの防衛本能がはたらいてのことかもしれません。もしくは未知の神経的なご病気……考えればきりがありません。原因がわかって、対処できるものならいいのですが」
「あいつはしばらく休ませる」
「わたくしも、ここに滞在しましょうか?」
「……いや。お前は店に戻って、引き続き調薬作業をしてくれ。酷使して悪いな」
「仕事ですし、みな同じようなものでしょう。……何もなければ、いいのですが」
「そんなわけにもいかんだろうな」
 国王は何度目かも分からない溜息を吐いた。
 カースは目もとを和らげて笑う。励ますように。
「陛下も、お身体ご自愛なさってくださいませ。お城のかたに栄養剤を差し入れておきました。食堂にありますから、よろしければどうぞ」
「ああ。本気で助かる。……助かるついでに一ついいか?」
「ええ」
「リシュアに一応、グレインのこと報告しておいてくれ。魔導師団のサロンにいるはずだ」




「……と、いうことなのですが」
「なるほどね」
 カースから一通りの話を聞いて、リシュアは顔をしかめた。
 彼女も忙しそうではあるが、日々の不健康な生活が功を奏したか――よく分からないが――睡眠不足なのだろうが平気そうな面持ちであった。小柄で華奢で、あまり健康そうには見えないのだが、意外にもリシュアは身体が丈夫だ。
「今は寝てるのね?」
「ええ、医務室で。お医者様が看ていらっしゃいますから、大丈夫ですよ」
 そこへヒースが戻ってきた。栄養剤の入った箱をサロンに置くと、数人いた魔導師たちがばらばらと小瓶を取っていく。
「カースが作ったの?」
「ええ。みなさんお忙しいので、差し入れにと」
 ヒースもその存在に気付いたか、足を止めた。
「初対面だっけ二人とも」
「ええ。でも、わたくしのほうは、お名前は存じ上げております。エレン・ヒースさんですね。わたくしはティル・カースと申します」
「よろしく」
 ヒースも、リシュアから彼女のことは聞いている。ソフィアの妹だということも知っている。
「そういえば二人とも名前が似てるけど、エルフによくある語感なの?」
「そうですね。伸ばす音が多い気はしますね。集落ごとに違うかもしれませんが」
「民族学の本なんかに出てるんじゃねぇか。……それより、どうしてここに? 確か、病院の方の手伝いをされてると聞きましたが」
「国王陛下から、リシュアさんに伝言を頼まれたのです。グレイン殿下が、体調を崩されまして」
「言ったことなかったっけ? ……ないか。グレンはひどい頭痛持ちなのよ」
「頭痛? 原因わからねぇのか」
「誰かに干渉を受けてるの、きっと」
 リシュアは、グレインが変な状態になった時のことを話した。
 指先が痙攣し、倒れ込み、目を覗けばその奥がどろりと澱んで――誰かの目と合った。
「深孔に干渉されたのか」
「たぶん」
 深孔というのは目にある魔力のツボのようなものだ。一般的にはあまり知られていない言語で、使うのは主に魔導師と、魔導障害専門の医師くらいのものである。
「誰からの干渉とか、そういうの、は……?」
 ヒースは唐突にフレイスの眼差しを思い出した。
 何かが引っ掛かる。
『うん、正常だ』
『異常だと思ったのかよ』
 ――そうだ。あいつは、こう言ってた。
『そういうことじゃない。たまに傀儡人形がいるから……』
 傀儡人形?
 誰の?
『黒衣の集団というのは法族だよ』
『俺たちの敵はあいつらだ』
 まずい。
『力を合わせるという選択肢は、ないんだな?』
『――ないよ』
 フレイスが言えなかった理由。
「あいつ、感付いてたんじゃないのか……!?」
「ヒース?」
「王子だ! 王子は――」
 ぶわりと、全身を寒気が襲った。
 リシュアもカースも、サロンにいた数人の魔導師も、その気配に身をすくませる。
「何、これ――風が乱れてる感じがする……」
「ええ。そう遠くは、ありませんね」
 ヒースはこの感覚を知っている。あの時よりも、圧倒されてはいるけれど。
 大地に眠る魔力が無理やりに起こされ、引きずり出された時の咆哮にも似た力の渦。
 ここにいる魔導師たちは、それをひしひしとその身に感じている。
「魔力剥奪だ……! 城下都市のどこかだぞ」
「入国審査も検問も報告が入ってないのに、どうして!」
 リシュアが駆け出して行く。ヒースもすぐにそのあとを追いたかったが、サロンにいる魔導師たちが指示を出さずに行ってしまったリシュアの背を眺めているのを見て我に返る。
「臨時で俺が指揮を出す! 城内の魔導師を集めること!」
「了解」
「わたくしは持ち場に行きます」
「もしかしたら治癒や魔力回復の薬が多く必要になるかもしれない」
「用意しておりますわ」
 カースが出ていく。入れ違いに数人の魔導師が駆け込んでくる。
「城下の様子は?」
「ごく一部の市民たちは異変に気付いていますね。強い魔力を持つ者でしょう。ところでエリクティル団長は?」
「おそらく術者のいる場所を探りに行った」
「無鉄砲に飛び出したと」
「そうともいう」
 ヒースがうなずくと、その魔導師は肩をすくめた。
「フレイスさんが関わってるって分かった時点で、絶対に指示は別の誰かが出すことになるんだなあとは思ってましたけど」
「そんなんでいいのかよ……」
「普段はちゃんとしてますよリシュアは。――で、指示は基本的に副団長の僕が出すことになりますが、こういう事態はおそらくヒースさんの方が詳しい。ご教授願います」
 二十歳を超えたかも怪しい、ひとのことを言えない若さのこの男が副団長ということをヒースは初めて知った。魔導師が十人程度集まったところで、臨時会議を開始する。
「会議っていっても、悠長にやってる暇はありません。魔力剥奪の方が先に来ましたが、法族の方も警戒を怠らないように。まだ十月には日がありますが油断はできない。対処ですが……」
 ――やりやがったなフレイス。何をどうやってセインレドに入り込んだんだか。
 ヒースは動揺を鎮めるように息を吐いた。その点、ここにいるセインレド人たちは、八年前の経験もあるのか、頼もしいほどに冷静だった。
 そうだ。魔力剥奪はまだ、防ぎようがある。
(でもあの戦闘力は、五人といえどあなどれねぇぞ……)
 飛び出して行ったリシュアが急に心配になった。
 無鉄砲にもほどがある。
 それから。
「悪いが、誰か王子の様子を見てきてくれねぇか? ……一応、武器を持って」
「僕が行くよ」
 いつの間にか扉のところに立っていたスコルツァが、仕込み杖の刃を抜く。
「嫌な予感がするから」

 


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