S a c r i f i c e  /  サ ク リ フ ァ イ ス
第五章( 1 )


 八月も残りわずかとなったある日のこと、グレインは国王に呼び出されて彼の執務室へと出向いた。こうして呼ばれるのは久しぶりのことだ――以前に呼ばれたのは、いつだっただろう?
 頭痛のせいか、最近は頭がうまく働かない。否、働かせる気にならないといった方が正しいか。
 扉の前に立つ騎士が敬礼をしてグレインを通す。
「来たか。まあ、掛けろ」
「どこに座るスペースが?」
 プリムローズの生誕祭、つまり二か月前までは綺麗な状態だったはずなのだが、国王執務室は再び雑多すぎる状態を取り戻していた。几帳面なグレインからすれば、床に書類や書籍が散乱しているのを見ると余計に頭が痛くなる思いである。
「適当にその辺に座れ。まあ立っててもいいが」
 書籍の上に腰かけるのも気がひけたので立ったままでいると、国王は苦笑いのような笑みを浮かべた。そして、手に持っていた特殊な紙をグレインに渡す。
 彼も知っている。この紙は、人魚族が使用する強い耐水性のある便箋だ。
「チェレシーさんから?」
「読めばわかるが、お孫さんが謎の白い渦に巻き込まれて眠りについたらしい」
「セリアが?」
 グレインはすぐに手紙に目を通す。
 蒼海に発生した白い渦にセリアが巻き込まれ、それに気付いて渦に近づいた数人の人魚たちと共に眠りについている、ということが簡潔に書いてあった。
「魔導の一種でしょうか」
「だろうな。先にリシュアに見せたんだが、高度な補助魔導の一種じゃないかと言っていた。……眠っている人魚たちに害はないようなんだが、どうにも気になる」
「チェレシーさんは、これをどうして父さんに?」
「警告だそうだ」
 短く告げられた言葉は、妙に冷え切って響いた。
 国王は、じっとグレインの目を見つめている。
「……何に対しての?」
「霧生の乱が起こってから今年で八年。お前が持ってきたシトラスの手紙にも書いてあっただろう。医務室でも色々言ったんだが憶えてないか。八年が経って災厄が起こる云々」
「それは覚えてはいます。……では、セリアの眠りが、災厄?」
「チェレシー氏も、俺も、それは災厄の前兆じゃないかと思っている。……何かが起こり出しているのは確かだ。セリアがその渦に巻き込まれた日に、彼女が北東大陸付近から、一艘のボートと共に泳いでいるのを、他の都市の人魚が目撃したらしい。海底からだから、ボートに乗っているのが何者かは分からなかったそうだが――いや、チェレシー氏はおそらく感づいているな。そのボートに乗っていたのが誰なのか。俺も何となくわかる。フレイスだ」
「なぜそう思うのです」
「チェレシー氏の話によれば三年前くらいに、フレイスが謁見を申し込んできたらしい。エレナの……彼女の娘のことについて、と称して。フレイスは、チェレシー氏およびお前たちの災厄への深入りを避けるためにと言って、チェレシー氏に災厄の内容を話し、そしてそれを子どもたちに言うことを口止めした。……その災厄からセリアを守りたいなら、と言われて、チェレシー氏はエレナの死を突きとめようと奔走するのを止めた。エレナの死は災厄と繋がっているというから」
「……その災厄の内容は?」
「チェレシー氏には、漠然としたことしか話されていないようだ。この際だからお前たちにも言ってしまうが、フレイスは、『強い魔力を持つもの、魔導具を受け継いだものたちが、狂信者たちにより供物として捧げられる』といったらしいんだ。そしてその狂信者たちこそ、エレナを殺した者たちでもあると」
「誰かが供物として捧げられる、というのが災厄……?」
 しかし、母の手紙によれば、災厄は『世界中を包み込む』となっていたはずだ。
 グレインがそれを言うと、国王は頷く。
「そうだ。魔導具を受け継いだものたち――深入り云々を思うと、多分お前たちのうちの誰かか、全員かもしれないが――が死んで終わり、というのではないらしい。……気になるのが、狂信者とか、捧げるという言葉だな。誰が何を狂信して供物を捧げるのか。そのあたりは全く分からない。それに何故フレイスがそのことを知っていたのかも」
「……セリアは本当に、大丈夫なんですね?」
「それは請負う。チェレシー氏も言っていた。……生命に別条がないからこそ、フレイスの仕業と確信できるんだろう。あいつが、何が目的でそんなことをしたのかは分からないが、あいつは意味のないことはしないだろう」
(まあいい。どうせあちらは出来損ないだ……)
「グレイン?」
 父に呼ばれて我に返る。
 ――俺は今、何を思った?
「そんなわけだ、お前たちも身辺には注意しろ。特に魔導具を持ってるお前とスコルツァはな」
「分かりました」
 警告? 注意? 何に? 誰に?
 敵も味方もはっきりしない。何が起きてるかも分からない。何が起こるのかも不確かだ。
 おそらくはフレイスによってわざとぼかされているからだろう。
(あいつはどこまで知っている……)
 ――どこまで?
 グレインは再び我に返って頭を抱える。
「おい」
 頭を押さえていた両手を下ろして顔を上げると、国王と目があった。
「お前、誰だ?」
「……息子に対して何ですかいきなり」
 呆れ半分、きょとんとして問い返すと、国王は「そうだよな」と言って後ろを向いた。
「行っていいぞ。……ああ、リシュアの誕生日祝いのことだが、当日はどうしても外せない会議があるから一日前倒しでやるからな。そう言っておいてくれ」
「分かりました」
「あいつも十七か。でかくなったなあ」
 しみじみと言う国王に曖昧な笑みを返して、グレインは執務室を出た。
 ――リシュアのところに行くか。
 その前に、とグレインは私室に寄った。カースから貰った薬を飲まなければ。
 頭が痛い。




 リシュアの誕生日は九月の初めの方にある。
 ヒースは、何とか間に合ったと思いながら、入国審査をパスして、城下都市の検問のところへ行き、身分証明書とリシュアからの手紙を出してそこも通過する。外国人は滅多に入れないというセインレドの城下都市アイベルオールは、白鉱石と硝子で造られた美しい街並みだった。
 裏路地の方にあるという彼女の家――小屋というべきか――に辿り着き、ベルを鳴らす。
 寝ぼけ眼で出てきたリシュアは、それでも彼の顔を見ると驚いて目を覚ました。
「到着なら一足先に連絡してよ、ヒース」
「近日中には着くみたいなこと、言っただろ」
 旅装のローブを脱いで、玄関の隅の方に丸めて放り出す。
 リシュアは何度かヒースの家に行ったことがあるが、ヒースがリシュアの家に来るのは初めてのことだった。ヒースの予想通り、彼女の部屋は書物に埋もれて生活空間がお座なりになっていた。年頃の女の子の部屋とはとても言い難いが、もしリシュアの部屋が可愛らしい人形に溢れる明るい部屋だったら、ヒースはこうも遠慮なく上がり込みはできなかっただろう。
「誕生日おめでと」
「ありがとう」
「これから祝ってもらうのか?」
 リシュアの誕生日はちょうど今日だった。
 暦を見てそう訊くと、リシュアは笑いながら首を振る。
「今日、王様は会議があって忙しいから、昨日祝ってもらったの。……結局、今日の明け方くらいまで世間話してたけどね」
 ちなみに今は午後を回って少ししたくらいの時間である。
「それで眠そうなのか。悪かった」
「いいよ別に。ごろごろする癖がついても駄目だし」
 彼女へのプレゼントが入った袋を渡して、ヒースは適当な書物の山の上に座った。
「これ魔導薬?」
「を作るセットだな。治癒魔導は薬にして携帯した方が楽だろ。エルフの作だから普通に売ってるのより遥かに質がいい」
 変に装飾品をやるよりも喜ぶだろうと思ったのだが、まさしくその通りだったのでヒースは呆れ半分笑ってしまった。年頃の男女が、実に色気のないことだ。
 まあ、これだから、リシュアとヒースとは同僚を超えた友人なのである。
「ところで、お前に手紙預かってきたんだけど」
 リシュアからコーヒーカップを受け取り、その代わりに封筒を差し出す。
 宛名にはRiserishua Erictil――リセリシュア・エリクティル と書いてある。その宛名だけで、彼女は気付いたようだ。はっとして裏面を見て、その名を見ると大きな桃色の目を見開く。
「預かって来たって……お兄ちゃんに会ったの?」
「仕事帰りに。デヴォラって街で偶然見かけて、後をつけたらバレた」
「それだけ?」
「それだけ」
 リシュアはヒースをじっと見る。彼も真っ向からリシュアの目を見つめ返してきた。
 嘘を吐いてるのか、本当なのか分からない。
 だが彼を疑っても仕様がないと思って、リシュアは封筒をポケットにしまった。
「読まねぇのかよ」
「グレンとルツァと一緒に読む。ヒースも来る?」
「どこに」
「お城」
「アホか。俺がホイホイ入れるわけねぇだろ」
「私と一緒なら楽々入れるよ。裏口からだけどね」
 半ば強引に決めてしまって、ヒースは飲みかけのコーヒーを置いて王城に行く羽目となった。
(興奮するのも無理はねぇな……)
 これで自分がフラストでの魔力剥奪に加担したのだと言ったら、彼女はどんな顔をするだろう。しかしそれは、聖魔導師エレン・ヒースとしては他人に言えない秘密である。彼は黙って、裏路地から王城へ急ぐリシュアの後を追いかけた。
 裏口から顔パスであっさりと城内に入り、昇降機で五階へ向かい、西側にある重厚な扉をノックする。
「はい」
「グレン? 私。リシュアだけど。友達もいるけど、いい?」
「は? ああ……」
 勢いに気圧される声が聞こえる。
 リシュアは扉を開けて、ヒースを引っ張り込むと、ばたんと扉を閉めた。
 黒と白と灰色を基調にまとめられた、モノクロームな広い部屋。文机に向かっていたらしい王子が、半身をこちらに向けている。驚きと呆れの混じった表情で。
 ヒースは無論、王子とは初対面である。濃い灰色の短髪に、セインレド王家に発露するという濃い赤の目。肌はリシュア同様にやや白く、顔立ちはさっぱりと整っていて眼もとが涼しげな、いかにもセインレド人らしい風貌である。
 一方グレインも、ヒースをまじまじと見つめていたが、不躾だと気付いて目線を外し、謝罪する。
「すまなかった。驚いてしまって」
「いいえ。お初にお目にかかります。彼女の同僚の、エレン・ヒースと申します。急に押し掛けてしまったご無礼を――」
「私が連れてきたんだからいいじゃない。堅苦しいのはあとにして! そんなことよりグレン、ルツァはいないの?」
「……確か、空中庭園でプリムの手伝いをしてるはずだが」
「すぐに呼んでくるから待っててね」
 リシュアは身をひるがえすとグレインの私室を出て行った。
 いきなり一国の王子の私室に、当の王子と二人きりで放り出された自分の心境を少しは考えてもらいたい――とヒースが思っていると、文机に座っていた王子もまた部屋を出ていく。
 戻ってきた彼の手には飲み物が載った盆。
「コーヒーでよかったかな。……それか水しかないんだが」
 思わず礼を言うのも忘れてコーヒーを受け取る。ヒースの呆気にとられた視線に気づいて、グレインはばつが悪そうに苦笑いした。その素朴な表情にも少し驚く。
「リシュアが淹れるコーヒーは薄いし、スークは――吸血鬼の友人で、スコルツァというんだが――彼はコーヒーを飲まないから味がめちゃくちゃだし。自分で淹れるしかなくて」
「メイドは淹れてくれないんですか」
「わざわざ呼ぶのが申し訳ないから。給湯室はすぐそこだし」
 リシュアから何となく聞いていた話も合わせて、ヒースは大体この王子の気性や人物を理解した。
 王族のくせに基本的に腰が低めで、おそらくは真面目ゆえに苦労性。そして自分で出来ることはすべて自分でやるような、他人を使うのがそんなに上手くないタイプの人間だ。
「いただきます」
「どうぞ」
 一口飲むと、確かにそのコーヒーは香り高くて美味かった。
 それを告げると彼は嬉しそうに笑ったが、やがて真面目な顔をして、
「リシュアとあなたが此処に来た用件は? 見たところ、あいつ、だいぶ興奮してるようだけど」
「彼女の兄からの手紙を預かってきたのです」
「フレイスから?」
「ひょんなことで会って」
 いかにリシュアの友人といえども、この王子が魔力剥奪のことなどを知っているかといえば分らなかったので、ヒースは説明になっていないようなことを説明した。しかし王子は納得して、
「それでか。……元気そうだったかな」
「ええ。仲間たちと旅をしていました。俺は――私は、すぐに別れたのですが」
「楽なように話してもらって構わない。ここは公的な場でもないから。……正直いえば、あまり敬語を使われるのって、慣れなくて好きじゃないんだ。メイドや家臣は仕事上そうあるべきだから仕方がないけれど、友人の友人にまでそういう言葉遣いをされると……」
「あんた、あんまり王族らしくないな」
 はっきりとそう言うとグレインは一瞬の間を置いてから、吹き出して笑った。
「確かにそうかもしれないが、たまにそんなのがいてもいいだろう」
 そこへリシュアが、青い髪の吸血鬼を連れて戻ってくる。
 お互いさしたる驚愕もなしに名前だけの自己紹介を済ませると、リシュアはポケットから手紙を取り出して封を切った。
 自然と静まり返る中、リシュアは震える声で最初の一行を読む。
「親愛なるリセリシュアへ」

 


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