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S a c r i f i c e / サ ク リ フ ァ イ ス
第四章( 2 )
森に囲まれた、人里はなれた小さな一軒家。
その台所に少女が立っている。
今日の昼食は、朝一番に海鮮市場へ出かけて買ってきたカタリナ・フィッシュのマリネと、リンゴとポテトをすりつぶしたサラダ、冷やしたクリームとブドウを包んだパイ、それからノンアルコールのフルーツ・カクテル。みんな夏になると、冷たくて口当たりのよいものを好んで食べる。
レイチェルは、出来上がった五人分の昼食を見下ろして、満足の溜息を吐いた。
自分に与えられた仕事は終了だ。
「ヴァーク、まだー?」
窓の外へ問いかけると、何かがつぶれたり、けずれたりするような音が断続的に聞こえて、やがて訪れた静寂の中に、ひくい声が響いた。
「あとちょっと」
「静かになったよー?」
「まだ来るよ。次が最後だろうしな」
面倒くさそうに一つ息を吐いた男の隣に、窓からひらりと飛び降りたレイチェルが寄りそう。
「手伝ってあげる。ご飯作るの、終わったし!」
「…………手伝われるまでもねえけど、ま、いいか。そろそろフレイスたちも帰ってくる頃だしな」
そう言った青年の、短い砂色の髪が、強風で逆立つ。
「ヴァーク、ライオンみたい!」
「おまえの方がよっぽどライオンだよ」
肩くらいまで伸びたレイチェルの金髪もまた、強風に思いっきり逆立っている。
その髪をぐしゃぐしゃに撫でまわされて、レイチェルはけらけらと笑い転げた。
――笑い転げながら、その掌に電撃を溜める。
「来たな。……うわ、グロ」
野戦に長けた彼が思わずそう呟くくらいには食欲その他を減退させるような異形の姿が、次々とヴァークとレイチェルを取り囲んだ。
「強いかな?」
「まさか。見かけ倒しだろ」
果たしてそれは間違ってはいなかったのだが、魔物たちが弱かったのか、ヴァークとレイチェルが強かったのかと訊かれれば、後者と言わざるを得なかっただろう。
……ものの数分で大きな魔物たちを片付け終えたヴァークとレイチェルに、ぱたぱたと気のない拍手が贈られた。
「すごい。さすが。えげつない」
「うるさいぞエスト。それは全部向こうに言え」
「言葉なんか通じないでしょ」
薄緑色の髪をした、まだ幼さが抜け切らない容貌を持つ少年が、丸めた地図を片手に立っていた。木の後ろに隠れていたのか、” えげつない “ ふたりによってまき散らされた魔物たちの体液や血液を浴びることはなかったようだ。無論、ヴァークやレイチェルも上手く避けてはいたが。
「昼食前に空気読めない奴らだなあ。もう」
「まったくだ。……レイ、手を洗ってこい。エスト、フレイスたちは?」
「寄り道中。ソフィが薬草を採取してから来るって言うから。フレイスも護衛でね。まあ、もうすぐ来るんじゃない? フレイスは機嫌悪そうだったし」
エスト――というのは愛称で、一応エストラルというのが正式な名前である。本当の名前はまた別にあるのだが――は、そう言ってすたすたと家の中へ入っていく。レイチェルも、ヴァークの言いつけを守ってすぐに洗面所へ向かう。
「待て。フレイスが機嫌悪かったって?」
ヴァークの知るその男は、機嫌を悪くすることなどほとんどない。あったとしても、表出さないのが普通だ。
「うん。死神の斥候隊と出くわしたんだけどさ。ひどい取っちめようだったよ。残酷なことは何もしてないけど、あれはまあ、トラウマになるだろうね。死んだ方がマシだったかも」
「なんでまた……」
「お腹空いてたんじゃない? ソフィもそう言ってたし」
「…………。昼時だしな」
確かにそれが一番信憑性の高い説だった。
ヴァークは溜息を吐いて、玄関の扉を開く。
どん、とエストラルの背中にぶつかった。体格の違いで、エストラルの方がよろめく。
「悪い――てかどうした?」
「ヴァーク、お砂糖切れそう!」
玄関に入ったエストラルを、手を洗って台所から戻ってきたレイチェルが遮ったようだった。手に可愛らしい砂糖つぼを持って立っている。
レイチェルは、明るい色合いの金髪を首のあたりで切り揃えた、目の大きい愛らしい容姿をしている。なんとなく、可愛いデザインのつぼを持って立っているのがよく似あう。しかし、その姿を単純に可愛いと形容できないのは、彼女の両目が、右が紫で左が緑という奇異な特徴を持っているからだった。
「なあに? ヴァーク」
「相変わらず変わった目だなと思ってよ」
「あんまりいないよね。こういう目をしてる人」
手を洗い終えて戻ってきたエストラルが食卓に着く。
「あんまりどころか、探したっていないよ。微妙に色合いが違うのならともかく、そんなに両目の色がかけ離れてるのは珍しすぎる。レイ、明日には出るからね。街ではサングラスを掛けるのを忘れないこと」
「お砂糖はー?」
「明日には出るって言ったでしょ。もうここには戻ってこない可能性の方が高いから、買い出しは要らないよ。夕食を終えたら、腐りそうな食料品は全部始末。部屋の片づけもするんだよ」
十代半ばに見えるエストラルと、十代後半に見えるレイチェルと。傍目から見れば、弟が姉に注意をしているような微笑ましい光景なのだが、実際にはこの二人は同い年である。エストラルの方が理由あって、外見的な成長スピードが遅れているのだ。
その彼らの兄貴分であるヴァークは、運動後の一服として窓際で煙草をふかしながら、エストラルが地図と一緒に買ってきた新聞をぼんやりと見始めた。
「変わったニュースはねえな」
「セルベスでクーデターが起こったらしいよ。将軍は失脚だってさ」
軽い調子でエストラルが言った。
セルベスというのは、中央大陸の南西部にある軍事国家で、厳しい戒律と独裁政治で有名な国家だった。円卓十二国という、十二ある世界の中枢国の一つに数えられていた。そして、エストラルが生まれ育った国でもあった。
「…………ふうん。寄ってく?」
「何しに寄るのさ」
ヴァークの提案を、知らない振りでとぼける。
けれどヴァークはそれに乗らなかった。
「殺されたというニュースはないぞ。あいつは逃げてる」
「…………」
「ここを出て北へ行ったら、もう間に合わなくなる。そうそう簡単に戻れないからな。ギリアス・ガラナント・ヴァイパーに恨みを晴らすなら今しかない」
いささか挑発的とも思えるヴァークの言葉に薄桃色の目を細め、エストラル・ヴァイパーは呟いた。
「あいつなんかのために貴重な時間を割いてたまるかよ。僕にとっては、みんなの望みの方が優先度が高いんだ」
「そうか。おせっかいでごめんな」
ヴァークは新聞をとじて床に放り出すと、ぐっと伸びをした。
「腹減ったな。フレイスとソフィアはまだか」
「あ、いま帰ってきたよー」
窓から外を見て、レイチェルが明るい声をあげた。
森の小道を、急ぎ足に歩いてくる一組の男女の姿が見えた。
「悪い、待たせた」
「お腹空いたでしょう、ごめんね」
「手を洗ってね、ふたりとも!」
食事当番のレイチェルが仕切る。二人とも笑いながら台所へ行って手を洗う。
ソフィアが薬草の入った籠を台所の隅に置き、戻ってくる。
「美味しそうね」
「飲み物は水でいいのか?」
フレイスが食器棚から五人分のグラスを持ってきた。レイチェルが慌てて、そのうちの二つを受け取る。
「ごめん、出すの忘れてたー」
「いいよ」
「あと飲み物は、フルーツ・カクテルがあるよ」
「あ、本当だ」
五角形をした珍しい形の食卓テーブル。各辺に一人ずつが座る。
席はいつもの通り、時計回りにフレイス、ソフィア、エストラル、ヴァーク、レイチェルの順。
取り立てて号令もなく、各々が好き勝手に食べ始めた。
空腹がそれなりに満たされ、少し落ち着いてきた頃、エストラルが背後からクリップボードを持ってきて、大きな世界地図を貼り付けた。
「食べながら聞いてね。これからの動きなんだけど」
地図には、ところどころに青や黒のインクで×印が付けてある。
エストラルが書いたもので、それは魔力が豊富に眠った土地、すなわち聖地を示している。
「ウィルニーとエベラスは勝利。ソレッタは敗北。残りは、確認済のところで南西大陸にクルエンダとロディラ、北東大陸にヴェルイール、エリステッド、フラスト。北西大陸はセインレド。その他は未確認」
「未確認というのは南東大陸のことだな?」
「そう。未確認イコールこの地図でいう ” 未開の地 “ だね。未開の地は、魔力の霧とか異常気象とかで、向こうも狙ってこないでしょ。だから放置していい。……さて、どうする?」
俯き加減にフルーツ・カクテルを飲んでいたソフィアがゆっくりと顔を上げた。
「優先順位の高い方からいきましょう。……正直にいって、全ての聖地で魔力剥奪をするほどの余力は、わたしにはもう残されていないの」
「オーケー。その優先順位はどう考える?」
「まず除外していいのは、ヴェルイール。吸血鬼の棲む樹海ね。わたしたちも、法族たちも、ヴェルイールで魔力剥奪を行うのは不可能だと思うわ。彼らは根っからの戦闘民族だし。吸血鬼の棲みかで彼らと三つ巴の全面戦争を行うのは厳しすぎる」
「その通りだね。エリステッドについては何か分かるの?」
エルフの娘、ソフィアの故郷である。彼女は少し上目づかいに考えるようにすると、ぽつりと、
「大丈夫じゃないかしら」
と言った。
「元々、強固な結界が張られているし……それに八年前の事件で、土地に眠る魔力自体が半減しているもの。打破するのが面倒な割に、得られるものが少ない」
「一番先に狙わなければいけないところはどこだろう?」
「フラストだろうな」
離れたところで食後の一服をしていたヴァークが口を開いた。
「城塞都市とはいえ、守りが薄すぎる」
「そうね。吸血鬼の侵攻を防ぐための城壁はあるし、夜は警戒度が高いけど……でも人間族しかいないし、とりたてて強力な自警団があるとも聞いたことがないわ」
「死海に面しているセインレドも危険じゃないか?」
黙々と食べているフレイスに向かってヴァークが話しかける。
フレイスは、ちょっと待ってという仕草をしてマリネを噛み終えると、フルーツ・カクテルをゆっくりと飲んで一息ついた。
「ああ美味かった」
「……で?」
「セインレドか。一度、法族の猛攻を避けたという実績はあるけどな。騎士団も強いし、国民の大多数がある程度の自衛能力を持っているといって過言じゃない。だが、陥落させるのが難しい代わりに魔力も多く手に入るからな。聖地としても魔力を多く持っていて、更に国民の約半数が優れた魔導師だ」
「リスクが高いけど、得られるものも大きいわけだ」
「そう。それからあの国は、魔力剥奪をされると犠牲が他よりも大きい」
「どうして?」
レイチェルは記憶喪失者だ。それ以前の育ってきた環境とも相まって、頭の回転の早さでいえば悪くはないのだが、無知である。それに些細なことはすぐに忘却してしまうところも鑑みると、もしかしたら何か脳に障害があるのかもしれなかった。一時的なものにせよ。
彼女の問いに答えたのは、やっと食事を終えたソフィアだった。
「セインレドというのは非常に国土の狭い国家なの。その局所的なところに多くの魔導師が生まれるということは、それだけ、住民たちが土地の魔力と強く癒着していることを示すの。そんな場所で土地の魔力を奪ってしまったら、具合の悪くなるひとや、最悪、亡くなってしまうひとが多数出る」
「そういうことだな。……けど法族は確実にセインレドを狙ってくる。先手を打って魔力剥奪をするか、もしくは法族の攻撃から死守しなければならない」
――セインレドを滅ぼすか、守るか。
「フレイスはどうしたい?」
「セインレドが優秀な自警団を持ってるというのは言ったが、決して守りは堅固ではない。死海に面しているからだ。死海に面しているということは、その果てにある法国に面していることに変わりない。八年前に起こった霧生の乱でも、法族たちの侵入経路は分かっていないが、おそらく死海方面を突かれたんだ。……死海方面、つまり城下都市の西側に結界を張ればいくらか安心はできるんだが、あの国は死海方向に対しては結界を張っていない。強い偏西風が吹いているせいだ。死海方面に結界を張れば、偏西風の行き場がなくなって、国中を荒れ狂うように吹きまわる」
「結界は風を通すんじゃないの?」
エストラルが当たり前の疑問を口にする。フレイスは首を振った。
「あの国の風は、風そのものが魔力なんだ。魔力が吹いているといっていい」
「厄介だなあ……」
「そのうえ、魔力剥奪をすれば、偏西風がぴたりと止んで、あの国は死海の潮風に晒される」
そうなれば空気は淀み建物は廃れる。
「何しても駄目ってことか。守り切らない限りは」
そう言って最後の紫煙を吐き出すと、ヴァークが灰皿で煙草を揉み消した。
「とりあえず、フラストとセインレドってことでいいんだな? 優先順位の高いのは」
「異論はないわ。ところで、さっきもエストが言ったけど」
ソフィアの大きな朱色の瞳が、フレイスの濃い桃色の瞳を見つめる。
「あなたはどうしたい? セインレドを守るか、滅ぼすか」
「……俺の意思じゃないよ。それを決めるのは」
「そう言うと思ったわ。でも別に、他の国や都市では容赦なく魔力剥奪をしたんだから、セインレドでもそうしなきゃいけない、なんて公平さは要らないの。どうせ公平になんかならないもの」
「…………そうだな」
頷いてはいるものの、フレイスの眼差しは揺るがない。
「明日、北へ発とう。北東大陸に行く」
「そのまえにさ、もう一度だけノゼリアに干渉してみない? これが最後だと思うけど」
「そうだな。三度目だが、試してみる価値はある」
そういうことに決まって、各々が夕食時までの時間を自由に過ごし始める。
フレイスは、傍らでぼんやりと紅茶を飲んでいるソフィアに向きなおり、その白い額に手を当てた。
「熱が引かないな」
「うん」
「長引くかな」
「これからはずっとこの調子だと思うわ」
「最低でもあと二回。……いけそうか」
「あたりまえでしょう。何のために、わたしがここにいると思うの?」
日に日に痩せ細っていくような気がする、ソフィアの小柄な体を抱き寄せて、フレイスは泣きたいのかも分からない気持ちで呟く。
「俺のため」
「それだけじゃないけど。でも、ほとんどはそうかもね」
ゆるく波打つ薄茶色の髪から、エルフ特有の長くとがった耳が覗いている。
その耳元にフレイスはささやいた。出来る限りの感情をこめて。
「……共に来てくれて、ありがとう」
「あなたに拾われた命だもの」
そう言って、ソフィアが小さく笑った。
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