S a c r i f i c e  /  サ ク リ フ ァ イ ス
第三章( 5 )


 八年前の冬のはじまりの頃。
 エルフたちが暮らす神秘の森エリステッドにも、冷たい風が吹き始めていた。カースは、里の奥まったところにある木造の家で、父のジークと母のエシカ、そして姉のソフィアと四人で穏やかな暮らしをしていた。
「十一月の中頃、でしょう。わたくしは薬草を摘むために、集落から少し離れた森のところにいました。すると集落の方で、魔力の渦が巻き上がるような、不思議な感覚がしました。そして突然爆音と閃光が起こり、次いで悲鳴が聞こえ、血なまぐさい匂いがしました」
 カースは薬草を摘んだ籠をそのままにして駆けだした。頭の中で鳴り響く警鐘よりも、心配の方が勝っていた。全速力で駆け戻ったカースが見たのは、炎が燃えさかり、同胞たちが逃げ惑うという恐ろしい光景だった。
「みな、わたくしを見ると驚いて立ち止まりました。怯えたような目をする者もいました。どうしてか分からなくて戸惑っていると、みな思い出したように逃げて行きます。知り合いが通りかかった時、わたくしはどこで何が起こっているのかを訊きました。彼は、おまえの家の方へ行けと言いました、やはり怯えと、それから同情の湧いた眼で」
 いよいよ嫌な予感は増して行き、カースは家の方へとひたすらに走った。魔導の飛び交う気配がして、誰かが集落の中で戦闘しているのだと分かったが、それどころではなかった。家族の無事を確かめるためにカースは走った。
「わたくしの家にたどり着いた時、ちょうど家からわたくしの父が出てまいりました。死ぬ間際だということはすぐに分かりました。全身をめぐる血が凍ってしまったかのように冷たい心持ちで、わたくしは父に駆け寄りました。わたくしが何かを言う前に父はまくしたてるように言いました。
いわく、エシカを止めなければならない。この集落に眠る秘術を解放させる気だ。ソフィアが止めに向かった。遠くで戦っているのは、エシカとソフィアだ、と。
先ほど通りがけに感じた戦闘の気配は、母と姉が殺し合いをしていたところなのだと分かったわたくしは、いてもたってもいられませんでした。けれど死にそうな父を放っておけない。けれど父に治癒魔導をかけても、母に貫かれた傷はもとには戻りませんでした。特殊な魔導具のようなもので刺されたのでしょう――もしかしたら、友情の証として譲り受けた、金色の刃の短刀、というのがそれだったのかもしれません。
死にゆく父は、さらにわたくしに言いました」
 カースの黄土色の髪を撫で、精一杯やさしい、いつもの微笑みを浮かべて父は言った。愛する妻に刺されたという悲哀も絶望も、その時だけは姿を消した。
「ここからずっと西、北西大陸の西端部にある風の国セインレドへ行きなさい。そこにはエシカの親しい友人たちがいる。国王もそのうちの一人で、何かあれば頼ってこいと言ってくださったことがある。ソフィアと一緒にそこへ行って、しばらく身も心も休めなさい。この里を離れ、定住してもいい。愛している。
そう言うと父はこと切れました。わたくしは姉を助け出すために、先ほどの喧騒がしたところへ行きました。そこには、エルフの戦士たちが集まって来ていて、母はすでに地に伏して倒れていました。何の気配もしなくて、おそらくはもう死んでいたのでしょう。
姉の姿はありませんでした。その内に、遠くから母を眺めているわたくしに気付いた戦士たちが寄ってきました。なぜか彼らは、わたくしに刃を、弓を向けました。わたくしは混乱して、立ちすくんだままそれを見ていました。……その時、姉の声と共に飛んできた爆風が、戦士たちを一斉に吹き飛ばして、わたくしは姉の声のするほうへと駆けだしました」
 同胞たちからも逃げることになったカースは、集落を駆け抜けて、森へと飛び出した。姉のソフィアは、大樹に身を潜めて待っていた。
「姉の様子は変でした。わたくしも姉も極限状態にあったので、その時は変だとは思わなかったのですが――姉自身の魔力は感じられないのに、膨大な魔力が姉の中で渦巻いているような、そんな感覚でした。今思えば、あれが魔力剥奪の秘術を姉が宿したという証拠だったのでしょう。
わたくしは父の伝言を伝えました。二人でセインレドへ行き、国王陛下を頼ろうと決めました。けれど、エルフの戦士たちがわたくしたちを追って来ました。いつの間にかわたくしたちは散り散りになり――わたくしだけが、セインレドへとたどり着いたのです」
 カースは唇を噛んだ。寂しさや辛さに耐えるというよりも、それはとても悔しそうな表情だった。彼女は自分の無力を嘆いている。
「このことをお伝えしなかったのは、狂ってしまった母の凶行を、母の良き友人でいてくださった両陛下に知られることが恐ろしかったからです。わたくし自身が母の行ったことを信じられない気持ち、自分までそのように見られる恐怖――そういうものに、勝てなかったからです。黙っていたせいで、母についてもご心配をおかけして申し訳ありませんでした」



 夜も遅くになったので、カースとディルハーツは帰っていった。
 このままお開きになる前にと、グレインがリシュアに向かって訊ねる。
「セリアの母の他に、魔力剥奪で殺されたのかもしれないという人は誰なんだ? ……言えなければ、それでいいんだが」
 リシュアはちらりと国王の方をうかがった。その仕草で、グレインは薄々ながら感付く。
「まさか」
 言い掛けたグレインの両頬を、国王ががっちりと押さえて自分の方を向かせる。真紅の目どうしが合う。根気強く言い聞かせるように、彼は息子に言った。
「シトラスだ」
 沈黙が空中庭園を包む。リシュアもスコルツァも、グレインの両目の奥を見つめていた。しかしあの時のように、どろりとしたものは見えない。
 やがてグレインは、夢遊病にかかったように目線を彷徨わせて、震える声で呟いた。
「俺が殺したんだ」
「また馬鹿なことを」
 国王が切り捨てる。
「どうやって?」
「殺せと、言ったんだ」
 グレインの目が濁り始める。輝きが失われ、どす黒く染まっていく。
「その剣で殺せと言った。だから俺が刺したんだ」
「あいつに外傷はなかった!」
「傷なんか関係ない。俺が刺したから、死んだんだ」
「どういうことだ……?」
「殺したんだ、それだけしか、分からない…!」
 涙を零してそう呟く様子を、誰もが呆然として見ていた。
 ――そうして、グレインの意識は急激に堕ちていく。




 何度目かも分からない夢を見た。
 鏡の中に自分が映っている。棒立ちで動けない自分に、鏡の中の自分はあの剣を振りかざして叫ぶ。
 おまえがしねばよかったんだ。

 わかってる。
 俺が死んだって別によかったんだ。

 紫色。
 真っ赤な唇。
 軽蔑の笑み。

『忌々しい親不孝者。裁きが来ることを忘れるな』

 忘れないよ。どんな罰でも受けるから。
 俺が犯した罪を、克明に教えてほしい。
 ……思い出させてほしいんだ。


 鏡の中の自分が笑う。酷薄な笑みで囁くように言う。
 ――そうやって、ずっとくるしめばいい。

 


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