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S a c r i f i c e / サ ク リ フ ァ イ ス
第三章( 2 )
生誕祭では、隣国から再びティアリス女王の名代としてリナミエル王女が訪れた。
八年前に起こった霧生の乱のトラウマで王城から出られないプリムローズ姫は、王城二階のバルコニーから国民に向けてスピーチを行う。警備の騎士たちを背に、穏やかな口調でスピーチをする彼女を、二人は三階の空中庭園から見つめていた。
「まだ王城から出られそうにないのね、プリムは」
「ああ。……無理して出る必要もないんだけどな。ここでも、生きていけるから」
「相当怖い思いをしたのね」
「避難場所の王族霊園に着くまでに、魔族が大量に出てきて、護衛の騎士や付き添いのメイドが殺されるのを目の前で見たそうだ。……それでも、一応はあのショックから立ち直ってくれた」
「なんだったのかしらね、あの乱は」
異形の者たちは結界を張られているはずの王城の中にまで侵入してきて、王城の人間は仕方なしに、避難場所として最も強い結界が張られた王族霊園へと向かったのだ。
リナミエルの祖国マーベリックでも、彼女の両親にあたる前国王夫妻が揃って混乱の内に亡くなっている。最もこちらは、何者かによる謀殺という噂もあるのだが。
「二度と起こってほしくないわ……二度目があったら、私の国はもう終わり」
マーベリックは、あの乱で疲弊した国力をやっと取り戻してきたばかりだった。まだ若い姉妹二人で立て直した国家。想像以上の困難と努力があっただろうと思う。
やがてスピーチが終わり、明るい花に彩られたパレードが始まる。歌声と楽器の音色に包まれた城下都市の様子を見下ろす静かな横顔をグレインは見つめる。
「時間がないのか?」
「何について?」
「婚姻を迫られているのかということ」
国力増加のためにだ。
王族の結婚というものには、それが大きく絡んでくる。身分が王族と平民の二つしかなく、また平民との結婚が昔から繰り返されてきたセインレドはそうでもないのだが、かつての国力が失われているマーベリックの若い姫にとっては、有力者との婚姻も役目の一つに入る。
「それが一番でしょう。国力を富ませるためにはね。家臣の理屈も気持ちも私にはよく分かるし、もとより覚悟はしているの。私は王女だし、一人の我儘で国を貧しくはできない。両親に合わせる顔がないもの。幸いなことに縁談はもうたくさん来ているから、今年の内には何とか決めたいわ。きっと今が、マーベリックの正念場なの」
もう夏が来るにも関わらず、風はまだ涼しかった。窓際のカーテンも妹姫が育てている花も、リナミエルの長い髪も揺れている。広場の方へと祭の中心地が移動したのか、喧騒は次第に離れて行った。
「何も言えない俺を恨むか」
「あなたと私の間には、何の約束もないはずよ」
少し驚いたリナミエルは、それでも微笑んでそう返した。
「私に何か言ってくれるつもりなの?」
「何もなければ、今すぐにでも」
「言えない理由は何なの?」
「分からないんだ」
「分からない?」
小首を傾げて繰り返した彼女に、グレインは頷く。
「分からないことが多すぎる。いつかどこかで何かが起こる――なんてそれだけ言ったら馬鹿みたいな話だ。当たり前のことなのに」
「支離滅裂になってきたわよ」
焦れているような、混乱しているような様子のグレインを見るのは初めてに近かった。
――今年に入ってから、彼の様子が少し変だ。
真紅の目を細め、少しだけ唇を噛んで考え込む表情のグレインを、開け放った窓から入り込んでくる風が取り巻く。
風は、彼の髪も服も乱すことなく、包み込むように吹いている。
リナミエルは、風に吹かれて舞うドレスの裾や長い髪をおさえる。
「不思議ね。あなたはいつも、風に乱されることはないんだわ」
「風?」
「セインレド人はみんなそうなの?」
「さあ……俺とあなたの服装の違いじゃないのか」
確かにスーツとドレスとでは大きく違うが。グレインにはリナミエルの言いたいことは伝わっていないらしい。
「あなたは、風に守られている感じがするわ」
「風はこの国の守り神だからな。多分そうなんだろう」
どこか上の空に返事をしたグレインは、今度は目頭を押さえて再び考え込む。
「頭痛がするの?」
「しない。でも、いま何もかもを思い出せるなら、どんなに酷い頭痛が来たっていい」
しかしその願い通りにはならなかったらしく、グレインは顔をあげて息を一つ吐く。
「これからどうする? リビィのところにでも寄っていくか」
「……そうね。そうするわ」
二人は空中庭園を後にする。
「見事に覗き見のようなことをしてしまいました……」
「いいんじゃない? 公共の場だし、覗かれて困る場面でもなかったようだし」
あっさりと言ったのはスコルツァで、スピーチが終わって少し疲れた様子のプリムローズと共に、グレインとリナミエルがいなくなった空中庭園の椅子に落ち着く。
「僕は彼女と話したことがないんだけど、どういう人?」
「女王陛下もそうですが、とても聡明な方です。たとえ男性優位の社会にいたとしても、互角にわたっていけるでしょう。女王陛下はあの乱の直後、十六歳で即位なさいましたが、見事な政治的手腕でマーベリックの瓦解を防ぎました。リナさまも、陛下の補佐をしながら、主に福祉や医療方面でその敏腕をふるっておられます。賢媛姉妹と名高いおふたりです」
「その女王陛下の方は、リビィと仲良しなんだっけ?」
「年齢がとても近いし、気も合うようです。女王陛下は国をあけることができないので、いつもセインレドでの催しには名代としてリナさまが来られます。リナさまは、昔から年齢の近いお兄様と仲がよろしかったので――」
と言って、プリムローズは吐息をこぼした。
「もう二十歳になりますものね。お兄様」
「人間族はどのくらいの年齢で結婚するの?」
「その国の法律にもよりますが……北西大陸では、二十四歳から二十六歳くらいが平均だったと思います。王侯貴族の立場であれば、法の認める年齢に達してすぐに結婚するという方が多いようです。無論、政略ですけれど。法律では、男女ともに十六歳以上であれば結婚する権利が認められるという国家が多いです。セインレドは十八歳以上です」
「王様は結婚早かったの?」
「お父様は確か、二十二歳でした。即位直前にご結婚なさったのです。お母様はその一つ年下でした。セインレドの王族は、他国に嫁いだり他国から迎えたりということが少ないので、政略結婚というものがほとんどなかったそうです。だから王族にしては遅めだし、わりと自由なところがあります」
「変わってるらしいね、この国は。リーアが言ってた」
「この国の始祖であるロエイン・フライトリーという方の残した書物に従って法治されています。時代が変わったので、変えるべきところは変えているようですが。それよりも」
プリムローズは言葉を切って、空中庭園の大きな窓に歩み寄った。爽やかな夏風が吹き抜ける。スコルツァの髪を揺らすその風は、プリムローズをそっと包み込むだけだった。この国で生まれ育った人々はみな、風に愛されている。特に王族は。そんなことを思いながら、スコルツァは彼女の言葉を待った。
「お兄様は、なにを『わからない』と言ったのか、スコルツァさんはおわかりですか?」
口調は穏やかだし、声も柔らかい。しかし薄紅色の目は、スコルツァを真っ直ぐに見つめて答えを待っていた。
自分たちが何かに巻き込まれていることなど、彼女にはとっくにお見通しなのだろう。それを言えばきっと、何も言わずに時折微笑むリビティアなどもそうだ。
「お兄様の様子が、日ごとに変わっていくような気がします。特に、四月に中央大陸へお出かけになって以降」
あの奇妙な頭痛だって、頻繁に起こるようになったのは今年に入ってからだ。
しかし。
「わからないのは僕も一緒だよ」
「同じことがわからないのですか?」
「そう。ただ……今年また何か悪いことが起こるかもしれないと、そういう話がある。それについてなぜ僕たちが振り回されているのかは、僕たち自身にもよく把握はできてない」
「また……あの乱のようなことが?」
そう言って窓の外を見つめるプリムローズの目は、過去の出来事に怯えていた。
城から出ることができず、ただ外を眺める彼女は籠の中の小鳥だ。
「あんなことは……もう二度と…………」
「まだ来ないもの、来るか分かっていないものを怖がっても仕方がないよ」
いつものさっぱりとした口調でスコルツァは言った。
「事前にあれこれ考えたって、結局勝負は物事に直面した瞬間なんだ」
西の果てに夕陽が沈んでいく。
パレードの始まりだ。
「やっと一段落したな。お疲れ様リシュア」
「お疲れ様です」
警備副長の大任をほぼ終えたリシュアは、警備長として今日一日の仕事を共にした王国騎士団の長・バーンスタインと果物のジュースで乾杯する。
ここからは無礼講だ。
「プリムローズ殿下も十五歳になられた。あとは秋に国王陛下の生誕祭、そしていよいよグレイン殿下の二十歳の生誕祭だな」
「今年も王妃さまの追悼祭をするのかな」
バーンスタインは――八年前から在籍している騎士団の人間なら誰でもそうだが――かつてリシュアの父の部下であった。父が亡くなって以降は、何かとリシュアの面倒を見てくれた人物でもある。彼はいわば小父のようなもので、仕事以外では敬語を使うことを嫌がられていた。
「黙祷は生者のためのもの。王妃さまだって、素直にグレンの誕生日を祝ってほしいと思うんじゃないかなあ。もし生きていれば。矛盾した話だけど」
「今年は無しだろうよ。グレイン殿下の成人する日だ。みんなお祭り騒ぎだ」
「追悼祭が無いなら無いで、なんかグレンは気にしそうなんだけどね」
「王妃さまの死に囚われているんだろう」
確かにその通りだ。グレインの苦悩は簡潔な一言で済む。
「ともかく、成人すれば王位継承も近付く。殿下はグラント国王陛下にも引けを取らない賢人になるだろうと評判だし、そのうえ才色兼備とくれば国民としても鼻が高いな」
「それほど完璧なイメージじゃないけど」
と言いつつ、彼を言葉で表現してみれば、あまり否定的な単語は見つからない。だが、言葉で表現されたグレインは、まるでグレインではないようにリシュアには思える。
「完璧な人間なんていない。だが、為政者としては隙も粗も無いに越したことはない」
彼女の考えを見通したかのようにバーンスタインは言った。
「で、どうするリシュア。後片付けは俺や騎士団の連中でやっておくから、君は家に帰るなり城に行くなりしていい」
「その前に色々、聞きたいことがあるんだけど」
バーンスタインと顔を合わせる前から考えていたことだった。
「家族のこと、聞きたい。お父さんとかお兄ちゃんの騎士団にいた時のこととか、もし知ってれば、私の母親に当たる人のこととかを」
「………………」
バーンスタインは、短い顎ひげを撫でて考え込んだ。
「そうだな……。団長――ヴェナールさんは、本当に素晴らしい人だった。騎士としての力量もさながら、人格者というのかな。公平であろうとしたし、騎士団に献身していた。その分、家族にとっては寂しかったかもしれないが……家庭でのことは、君の方がよく知っているはずだ」
帰りはリシュアが寝ついた後であることが多かった。たまに起きていると、夜更かしだと言いながらも、嬉しそうに抱き上げてくれた。金髪に緑色の目、セインレド人の典型的な容貌ともいえる、すっと通った鼻筋に涼しげな目。
「フレイスは妹思いだという印象だったな。多忙なヴェナールさんの代わりに君の面倒を見ることが多くて、君のことを本当に大事にしていた。……それなのに、何も言わずに失踪したのは、絶対にそれだけの理由がフレイスにはあったんだ。リシュアを置き去りにしてでも、しなければならなかった何かが」
フレイスが生存していたことは、確実な情報として城下町に広まっていた。改めてリシュアがそのことを告げた時の、バーンスタインの安堵と心配とが混じり合った眼を、ふと思い出した。
「生きていてよかった。俺たちの前に、今になって名だけながらも姿を現した理由が分からないから、それは心配なんだが」
「お父さんと同じくらい剣が強かったって本当?」
「ああ。剣聖と呼ばれてたことは知ってるな? フレイスはまず身体能力が抜きんでていたし、センスも非常によかった。俺は当時もう騎士団に在籍して十年だったんだが、勝てなかった。当時フレイスに勝てたのは、ヴェナールさんともう一人、あの乱で亡くなった騎士だけだった」
「ふうん……お母さんは? どんな人か知ってる?」
「出自を詳しく聞いたことはないが、このあたりの人ではなかったようだった。髪と目の色が珍しい色だったし。君の目よりも少しくすんだ桃色というのかな。はじめて見た色だ。君が生まれてすぐ、大事な用ができてしまったから故郷に一旦戻る、と言ったきり帰ってこなかった。さっぱりした気性の、細かいことは気にしない闊達な人で、ヴェナールさんとタイプは違ったが、いい取り合わせだったよ」
「魔導が得意だった?」
「うちの嫁が、あの人はすごい魔導師だと言っていたな」
バーンスタインの妻は魔導師だ。治癒魔導に長け、よく怪我をした団員を癒しているところを見かける。
「家族のことを聞きたくなったのはどうしてか、訊いていいか」
「お兄ちゃんが生きてるって知った時、そういえば私はあまり家族のことを知らなかったなと思ったの。小さかったのもあるし、みんないなくなってからは、塞ぎこんで聞こうとしなかったせいもあるけど」
家族はもう遠い記憶だ、と思いながらリシュアは電飾パレードのフィナーレを見つめた。
無性に誰かに会いたくなった。自分を抱きしめてくれる誰かに。
「ありがとう、おじさん。――お城に行って来る」
「気を付けて」
プリムローズにおめでとうを言って、それから抱きしめてもらおうと思った。リビティアにも、勿論、グレインとスコルツァにも。
誰もリシュアの本当の家族ではないが、家族というものを思い浮かべた時、浮かび上がるのは彼らの姿だった。
もうじき、この夏が過ぎて秋が来たら、彼らと過ごした時間は本物の家族といた時間よりも長くなる。燃えさかる真夏に訪れる兄の二十四回目の誕生日も、また会えないまま過ぎるのだろうと思った。
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