|
S a c r i f i c e / サ ク リ フ ァ イ ス
第二章( 5 )
カースの営む薬店は、城下都市に隣接する商業都市エルクラウドの裏路地にあった。
国王にグレインの状態と魔導干渉についての見解を話してから、リシュアとスコルツァはすぐにその店に向かう。幸い定休日でもなく、客もいないようで、カースはすぐに二人を店の奥の居住スペースに通してくれた。
ディルハーツがお茶を運んでくる。
どうやら彼が淹れたものらしく、カースの淹れてくれるお茶よりは香りが少なかったが、それでも十分に美味しかった。
リシュアは初対面なので、彼と軽い挨拶を交わす。
――なんだか、変な感じだった。懐かしさのような違和感がある。
なんだろう、と首を傾げている間に、カースが『骨休め』と書かれた看板を店先につるして戻ってきた。
「お待たせしました。グレイン殿下のご様子は、その後いかがでしょう?」
「さっきまで一緒にいたけど、今日も調子が悪いみたいだから、僕たちが代わりに来たんだ」
「ああ、ディルツの持っている剣をご覧になりたいとおっしゃっていましたね」
そんなに広い家ではない。ディルハーツはすぐにその剣を持って戻ってきた。
グレインの持つ装飾剣と同じで、刀身も柄も真っ白だ。柄の方には複雑で繊細な紋様が彫り込んであり、その中心には、三日月のような形をした、水色の美しい宝玉が嵌っている。
王妃の形見であるあの剣との違いは、嵌っている宝玉の色と形、そしてディルハーツの方の剣には魔力の残滓があるということだけだった。グレインの持つ剣の方からは一切魔力は感じられない。
「どう? これもやっぱり魔導具なの?」
「同じ類のものだね。グレンの持っているのとか、ノゼリアにあったのとかと。触っていい?」
「いいよ」
リシュアは剣を持ちあげてみる。ディルハーツは軽々と持ってきたが、腕力のないリシュアにとっては重たく感じる。彼女はそのまま細かい部分を眺めていたが、ふと宝玉に目を止めた。
「この石は……」
「調べてみましたが、ただの宝石でもないようですね。図鑑の類には載っていませんでした」
カースが補足してくれる。
「何か特別なものなのですか?」
「石自体については分からない。でも……でもこれ、私の父さんが持ってたはず」
変わった形の変わった石。
小さい頃に見せてもらっただけだが、確かにこれと同じものだった。しかしこの剣自体には見覚えがないので、この石が本当に当時見せてもらったものなのか分からない。
――そういえば父さんが死んだ時、この宝玉はどうしただろう?
家にあったもの以外での遺品は、王国騎士団のレイピアと、父が嵌めていた結婚指輪だけだった。前者は騎士団に寄贈し、後者はそのまま外さずに父と共に墓に埋めた。
「どこで手に入れたの? これ」
「最初から持ってたよ」
「最初から?」
「ああ。リーア、ディルハーツは記憶喪失なんだって」
その情報を知らされていなかったリシュアは驚き、やがて諦めたように息を吐く。
「じゃあ、何も分からないね」
「ごめん」
「仕方ないよ。ありがとう」
そう呟いて剣を返す。ディルハーツはそれを、私室らしき部屋へ戻しに行った。
「あれは、確かにリシュアさんのお父さまのお持ちになっていた宝玉でしたか?」
「小さい頃に一度しか見たことないし、今まで忘れてたけど……もしかしたらというレベル。でも、きっと……ああ、でもだから何というわけでもないよね。ディルハーツが持っているのに、きっと意味があるんだもの、あれは」
なにか特別な魔導具であることは、もう分かっているのだ。
そういえば、ディルハーツの記憶喪失もまた、防衛本能の一種なのだろうか?
「お時間がよろしければ、ゆっくりして行ってくださいね」
カースがそう言って、お茶のお代わりと一緒に茶菓子を出してくれた。
店番をしに行こうとした小さな後姿に、スコルツァが声をかける。
「もう一つ用事があるんだ。今度はカースに」
「わたくしに? なんでしょうか」
「カースのお姉さんのことで」
振り向いたカースの目つきは驚くほど鋭かった。
不機嫌そうな、敵意があると形容してもいいほどの剣呑な目つき。
「わたくしに姉がいることは、お伝えしたことがないはずですが」
「レイツに聞いたんだ。レイツは国王から聞いたみたいだけどね」
「そうですか。――そうでしょうね、すみません」
カースの剣呑さは鳴りを潜め、突然いつもの穏やかな雰囲気に戻った。安堵しているといってもいいような反応にリシュアもスコルツァも首を傾げる。カースはそれに気づかないふりで訊いてきた。
「なぜ急に姉のことを?」
「数日前に、中央大陸にあるウィルニーという都市で魔力異変が起こったの。私はそれで、エルフの血を引く同僚と一緒に駆り出されたわけだけど……知り合いの人魚がね、そこで私の兄に会って伝言を預かってきたのよ」
「フレイスさんが?――ああ、城下での噂は本当だったのですね」
「私の兄と面識はないよね」
「ありません」
「とりあえず生きてたみたいなのよ。なにか理由があるみたいなんだけど、それは説明が曖昧すぎてよく分からない。それはともかく、知り合いの人魚――セリアっていう名前なんだけど、彼女が言うには、兄はエルフの女性と一緒にいたみたい。薄茶色の髪の綺麗なひとだって言ってた」
「それが姉だと?」
「たぶんね。私たちは、そう考えてる」
「……確かに特徴は一致していますが、エルフ族のほとんどは茶髪か金髪ですし、姉は朱色の目をしていますがエルフ族のほとんどはそうです。わたくしの姉だと断定するにはあまりにも要素が足りません」
「見た目だけの話じゃないの。カース、魔力剥奪って知ってる? ――知ってるんだね。エリステッドの出身だもんね。私の同僚の母親もそこの出身なんだって」
「ウィルニーの魔力異変って……まさか……」
「魔力剥奪だと、私とヒース――同僚は考えたわけ。でも大がかりな装置がないし、って悩んだ私に、ヒースは術なら存在するといって、エリステッドに伝わる秘術の噂を教えてくれたの。まあ噂って言っても、確認しに行って、エリステッドに魔力剥奪の術が秘術として保管されていたことは確かだと言ったけど。そしてそれが、八年ほど前に起こったエリステッドでの内乱の後には、消えていたということも判明した」
「……内乱のことを、ご存知なのですか」
「知らない。ヒースも分からないし訊き出せなかったと言っていたから。ただ、カースがセインレドに来たのは約八年前のことだよね。カースのお姉さんが魔力剥奪の秘術を宿している可能性はない? ウィルニーで私の兄と一緒にいたひとがカースのお姉さんだという可能性は?」
「十中八九、姉でしょう」
カースは低い声で淡々と認めた。
「姉の名はソフィアといいます。姉とは、その内乱の最中に別れました。生きていればセインレドで落ち合おうという約束でしたから、とうに死んだものだと思っていましたが。姉は優秀な魔導師で、身に宿す魔力のみならず使役する能力も高かった。魔力剥奪の秘術は、魔力のない者や使役する才のない者にとっては非常に危険なものだと言われていました。秘術に魔力を喰らい尽くされると。けれど姉ほどの魔導師ならば大丈夫だったのでしょうね。すべて推測でしか話せませんが」
「カース。その内乱は」
「訊かないでください」
一蹴された。カースの眉間には皺が寄り、朱色の目には焦燥と悲哀の色が浮かんでいる。
黙って話を聞いていたディルハーツが、彼女を庇うように隣に座る。
「ごめんね、カース。もう訊かない」
「――いえ。すみませんでした」
「ねえ。どういう理由で、二人は魔力剥奪をしたんだろうね」
それまで黙々と茶を飲んでいたスコルツァが口を開いた。
「姉とフレイスさんが魔力異変を起こしたというのは確実なのですか?」
「リーアのお兄さんが、これは法族の仕業ではない、とか、悪意はない、って言ってたんだって。リーアのお兄さんと一緒にいるのがカースのお姉さんで、彼女が魔力剥奪の秘術を使役できるなら、そう考えるしかないと思う。たくさんの人が使役できるような魔導なら、秘術なんて言わないし」
「そうだね。私もそう思う。……役目を果たす、ってお兄ちゃんは伝言のなかで言ってた。霧生の乱の後に失踪したのも、その役目のためなのかな」
「役目、ですか。わたくしには何も……」
迷子になって途方に暮れた子どものように、カースが呟いた。
一体今までに何が起こって、これから何が起こるというのだろう。
「別に役目が何かとか、考えなくたっていいんじゃない?」
思考の深淵に沈みこむ二人を呼び戻したのはやはりスコルツァだった。
「そのために、リーアのお兄さんは回りくどい伝言をしてるわけでしょ。それに王妃さまとか、事情を少しか知ってる人たちはみんな、深入りさせたくないって言ってるわけだし。わざわざ自分たちから突っ込んでいく必要はないよ」
「カースのお姉さんだって役目が終わったら会いに来てくれるよ」
ディルハーツも、スコルツァの言葉に力強く頷いた。
「リーアはともかく僕がここに来たのは、レイツの頭痛について何か分かるかもしれないと思ったから」
「殿下の頭痛が、何か姉に関係しているのですか?」
「姉というよりは――魔力剥奪の方に? その言葉を聞いたとたん、ひどく苦しみだしたから」
「詳しいことは分からないけど、魔導干渉を受けてるようなの」
リシュアは、不思議な顔をしているカースとディルハーツに、魔導干渉とそのシステムについての彼女の見解を簡潔に説明した。
「合ってるかどうかわからないけど、自信はあるよ」
「筋は通っていますね。……となると今まで頭痛を起こした時も、何か反応したキーワードがあったのでしょうか」
「さあ・・・思いだせない事柄があることを思い出して、それを思い出そうとしている内に何かキーワードに相当する記憶に触れたとか。――説明はいくらでもしようがあるよ。内面的なことだもの」
「霧生の乱のとき何があって、王妃さまが亡くなった日に何があったのか、それを知る必要があるかもしれないね。……となると、結局リーアのお兄さんが絡んできそうなんだけど」
フレイスはセリアに託した伝言で、あの乱――霧生の乱のことだろう――とその前後に何が起こったかを把握したと言っていた。きっと彼の行動理由は、そこから来ているのだろう。
「とりあえず、お城に戻ろう。レイツのことも心配だし」
「あの――でしたら、これを」
カースは店先に戻って、小さな麻袋を取って引き返してきた。
麻袋の隅に、茶の銘柄が縫い付けてある。
「鎮静作用もある薬草茶です。淡い味で飲みやすいものですから、殿下にぜひ」
ありがたく受け取って、二人はカースの薬店を出た。
肌の表面が焦げるように熱かったはずなのに、今は心なしかひんやりとしているようにも思える。
陽射しが隠れている所為もあるだろう。
それから。
「どうなってるんだ」
苛立たしげに男が呟く。不機嫌になることがあまりない彼には珍しい姿だった。
短い深緑色の髪をかき混ぜて、傍らに突っ立っている男を横目で見る。
「フレイス、おまえ何か間違ってるんじゃないのか」
「間違ってるね」
もう一人の男――フレイスは、あっさりと認める。
猫のような形をした桃色の眼で周囲を一瞥し、淡々と呟く。
「思ったより時間がないし様子も違う。……あいつら、指導者でも変わったのかな」
二人の眼前には、もがき苦しむ人々の姿が広がっていた。
小さな砂漠の中心にあるオアシスに、救助隊はまだ来ない。
「荒々しいな」
「ああ。腹が立つ」
二人の背後には、もの言わぬ人々が転がっている。
ついさっき、殺し終えたばかりだ。
黒衣に鎌を持った異様な姿のそれらは、やがて砂のように拡散して消えていった。
彼らは自らの骸を残さない。
他者の骸は転がしておくくせに。
「腹が立つ」
傍らの男がもう一度呟く。
憎しみと怒りは積もるばかりで、際限を知らない。
← / × / →
|