S a c r i f i c e  /  サ ク リ フ ァ イ ス
第二章( 4 )


 ウィルニーの噴水広場に到着してすぐに、リシュアは高位魔導師会(名の通り高名で力のある魔導師たちの民間組織である)の同僚であるエレン・ヒースという青年に再会した。エルフの血をひくのだという彼は、やや尖った耳を隠しもせずに颯爽と歩いてくる。
 炎で混乱に包まれた場所でも、霧深い場所でも、ものともせずに歩いてくる人物だ。リシュアは聖魔導師になって彼と出会った時から、その歩き方がなんとなく怖くて、羨ましい。
「ようリシュア。あんまり乗り気じゃないようだな」
「面倒くさいことになりそうなのよ、色々と。・・・地質調査はもう終わったの?」
「異常なし。ついでに言えば空気中の魔素にも何の影響もない。土地に眠る魔力だけ、ごっそり抜け落ちたように無くなったみてぇだな。ま、魔力剥奪だろ」
 至極あっさりと結論を出してしまったヒースにリシュアは溜息を吐く。
 ああ、やっぱりか。
「信じられないか?」
「まさか。やっぱりなと思っただけ。周りはどういう反応してるの?」
「まだ誰にも言ってない」
 そう言ってヒースが石椅子に腰かけたので、リシュアもその隣に座る。
 彼もリシュアと同じく、魔導師の中で最も高い位である聖魔導師の称号を持っている。見た目でいえばせいぜいリシュアと同じくらいの年齢なのだが、エルフの血を引いている関係か老化が遅いらしく、実際にはもう二十歳を超えているという。
 それにしても。
「どうやって魔力剥奪を行ったかによるよね。そういう魔導装置があるのかしら。作ればありそうだけど、莫大な費用がかかることは想像に難くないし、小型じゃなさそうだし・・・」
「それはおまえ、普通に術かければいい話だろ」
「術? 術って・・・確かに文献にはその存在が記されてるけど。人為的には無理じゃない? 魔力を乖離させたり分散させたりする能力を持つ人はたまにいるけど、ここの空気中の魔素には何の影響もなかったんでしょ。乖離・分散させた魔素や魔力を逃がすところがないよ」
 建物を解体すれば粉塵が舞うように、魔導や魔力を乖離・分散させれば、魔力や魔素(魔力よりも小さな単位)があらゆるところへと舞う。
 魔力剥奪であれば、それがない。魔力を丸ごと綺麗な状態で取り出すのだ。
「いやだから剥奪したんだって。ごっそり取って自分のものにするなりしたんだよ」
「だからどうやって」
「魔力剥奪っていう術は実在するんだよ、ちゃんと。人間族は知らないだろうから仕方ないけど」
 面倒くさそうないつもの口調で、ヒースは尖った耳を微かに動かしながら言った。
「人為的に魔力剥奪が行えるって?」
「そう。この前、それでエリステッドに行ってみた」
 エリステッドというのは、北東大陸のどこかにあるというエルフたちの住まう里の一つだ。比較的その存在自体は多く知られている。場所がまったく特定できないだけで。
 エルフたちの魔力によって入口が隠されているのだ。
「入れてくれたの?」
「まあ、母さんがそっち住んでるからな。何とか。別に混血を迫害するわけじゃねぇんだよエルフは。なんかやばそうなものを持ちこんだりしたら駄目だけど、平穏を乱さなければエルフの血を引く奴はむしろ歓迎してくれる。いや、その集落にもよるかな」
「で? どうして行ったのよ。エルフの里に手掛かりがあるの?」
「なんとなく聞いたことがあるのを確認しに行ったら案の定。魔力剥奪っていうのはな、元々エルフたちが秘術として匿ってた魔導なんだとよ」
 エルフ。
 そういえばセリアが、フレイスと一緒にいたのがエルフの女性だと言っていた。
 ――彼女が魔力剥奪の秘術を使役したのか?
 それなら、『法族の仕業ではない』と言っていたらしいフレイスの言葉ともつじつまが合う。
「匿ってたってことは、今はもうないのね?」
「どういう形で封印されていたのかは里の長しか知らなかったらしいが・・・八年くらい前に里のなかで混乱があって、それがおさまった時にはもう封印が解けて秘術はなくなっていたらしい。その混乱の内容については母さんも他の人も、頑として言わなかったから分からん。・・・もしかしたら誰かがその秘術の存在を知っていて、奪ったのかもしれねぇな」
「ねえ」
「なに」
「これから言うこと、告げ口しないって約束してくれる?」
「おう」
 ヒースはあっさりと頷く。けれど彼が約束を守る律儀で頑固で一本気な男であることはリシュアも理解しているし、信用もしている。だからこそ、同僚の枠を超えて友人としても付き合っているのだ。
 まじめな目つきになったヒースに、リシュアは先日港でセリアから聞いたことを話した。
 ウィルニーで自分の兄やエルフの女性がいたことや彼らの言っていたこと。――無論、自分たちが巻き込まれかけている災厄云々のことや、フレイスの伝言内容については言わなかった。
 ヒースは切れ長の朱色の目をすっと細め、考え込むいつもの癖で唇をなぞった。
「おまえの兄ちゃんが一枚噛んでんのか」
「たぶんね」
「会えなかったのが残念だな。まあでも、縁があればまた会える」
「・・・うん」
 ヒースが何よりも先にそのことについて励ましてくれるのが少しだけ嬉しかった。
 彼は噴水を見上げながら、唇をなぞって考えを口に出す。
「どこ出身のエルフかにもよるが・・・ほとんどのエルフの集落は、北東大陸だしな。この中央大陸は森林が開発されすぎていて、集落はなかったはずだ。仮に彼女がエリステッド出身のエルフで、魔力剥奪の秘術をその身に宿していたとする。ここで剥奪した魔力はどうしたんだろう? 自分のものにしたのか。――いや、違うな」
「うん。そのエルフの人は魔力が足りなそうでふらふらしてたって、セリアが言ってたもの。セリアはなかなかの魔導師だから、それは見当違いじゃないと思う」
「・・・・・・魔力剥奪の術を使役するのは相当な魔力と魔導使役の素質が要るよな。ましてやウィルニーの土地全体にかかる大掛かりなものだったら、魔力剥奪をしたことで魔導師の魔力が足りなくなってもまったくおかしくはない。でもその魔力はどこに行った? それこそ分散でも乖離でもなければ・・・」
「消した、かな。どうやってかは分からないし、どうしてかも分からないけど」
「おまえの兄ちゃんは、そういうのできねぇの?」
「無理。失踪した当時から、魔力は今の私よりもずっと大きかったけど。使役は一切できなかったの」
「おまえよりでかい魔力だって? 八年前で?」
「そう」
「想像つかねえな。それに、なんでおまえの兄ちゃんが関わってるのかも分からねえし――まだ関わってると決まったわけでもないけど」
 口ではそう言っているが、ヒースはおそらくフレイスの介入を半ば確信しているだろう。
 リシュアもそうだ。それにその理由も何となく感づいている――具体的には分からないが、自分がノゼリアへ行って加護を受けさせられたことや、スコルツァの指輪の意匠を変えさせたことなどが関係しているのだろう。つまりはシトラス王妃の手紙とも関係しているのではないか。フレイスと王妃は、フレイス失踪後も繋がりがあったのか?
 考えだせばキリがない。しかも全部想像でしかないことだ。
「何か分かってるのか?」
 リシュアは黙っていた。そこまでヒースに言うつもりはなかった。
 おそらく関係のないだろう彼を巻き込んでも心配させるだけだ。
「・・・ま、いいか。この騒ぎ、ただ土地の魔力に癒着していた住民たちが一時的に具合悪くなったって程度で、それ以外は大したことねぇんだよな。基本的に魔力自体は人魚族のいる海底からも補給できるわけだしライフラインにも大きな影響はもうない」
「うん」
「・・・魔力剥奪と分かったところで、手の打ちようはねぇな。おまえの兄ちゃんを『アヤシイ』って言って捕まえるにしたって、行方も知れなければ理由も分からないままとっ捕まえるわけにはいかねぇし」
「捕まるかも分からないよ。強いひとだったから」
「知ってる。『剣聖』に刃向かう気はねぇよ。まず返り討ちだろうしな。・・・まあそれはともかく、エルフの秘術云々のことだって他の魔導師たちは知らねぇことだ。言ってねぇし」
「そうだね」
「おまえ、俺に黙ってることあんだろ」
「ある」
「だったらこの件の報告内容はおまえの好きにしな」
 そのかわり俺はもう帰る。
 ヒースはそう言うと、少しびっくりしているリシュアを見もせずに、軽く伸びをして座っていた石椅子から立ち上がる。噴水広場から、アンゼリカへと帰る観光船に人々が乗船しはじめていた。
「うまくやれよ」
「かっこいいヒース。あいしてる」
「ぶつぞ」
 やはり颯爽と歩いていくその潔い後姿を見送ってから、リシュアもゆっくりと立ち上がる。
 この後チェレシーに謁見して報告しなければならない。
 歩きながら報告内容について考えた。魔力異常については分からなかったが、ライフラインにも影響はないし人々の不調もいずれ回復するだろう、心配はないと思われる。よし、これでいこう。
 そしてセインレドに帰って、カースに会いに行かなければならないと思った。
 彼女はエリステッド出身のエルフだ。
 約八年前に、まるで何かから逃げるようにしてセインレドへとやってきた。おそらくエリステッドで起こったという混乱のことも知っているだろう。
 むしろ、その関係でセインレドに来たのではないか?
(あーもう。身の回り、不審なこと多すぎ)
 これで本当にカースも何らかの関係を持っているなら、深入りさせたくないだの何だのという誰かさんの配慮はまったく無駄な気がするのだが。
 それとも、もう関係はしているけれど、まだ深入りはしていないということか。
 何を隠している? 誰も彼も。
 フレイスが自分を置いて消えたのも、災厄のせいなのだろうか。
 どことなく沈み始めた気持ちを持て余して、リシュアは一刻も早く帰るべく、チェレシーのもとへ報告に向かった。



 リシュアが帰国すると、港でスコルツァが出迎えてくれた。
 すぐに国王に謁見してチェレシーと同内容の報告を済ませると、二人はグレインの私室へ向かう。彼はリシュアがウィルニーで仕事している間にまた倒れたらしく、昨日までずっと寝たり起きたりの繰り返ししかしていなかったらしい。
「なにか未知の病じゃないか、っていう疑いも出てきているみたいだよ」
「そんなにひどいの?」
「記憶が混濁してるって言うのかな――思い出せそうで、思い出せない何かがあるんだって。放っておけって言ったけど、レイツだからどうだろうね」
「思い出せない何かのせいで頭痛がするわけ?」
「リビィが言うには、人は、自分のバランスを著しく崩してしまうような記憶を封印してしまうことがあるそうだよ。防御反応――防衛本能だったかな? とにかくその一種らしい」
「グレンは、自分が何かを思い出せないでいることを、思い出しちゃったんだ」
「少なくともあの頭痛は、原因不明ではなくなったね」
「でも、どうしてしつこく思い出そうとするのかな。それもグレンの意思なわけ? 思い出しちゃいけないことだから忘れた――記憶を封印したわけでしょう? たぶん」
「まだ・・・・・・何かあるんだ」
 スコルツァは、リシュアを見送った帰りに見たグレインのあの目を思い出した。
 血の色をした目の奥に、どろりと濁るもの。
 誰かの双眸。そしてその眼差しを、きっとスコルツァは知っていた。
「グレン、起きてる? 入っていい?」
「ああ」
 いつの間にかグレインの私室の前まで来ていて、リシュアが扉をノックしていた。
 あの濁った双眸を振り払って、スコルツァも室内へ足を踏み入れる。
 モノトーンであっさりとまとめた部屋の中に、爽やかな風が吹いている。窓が開け放たれていて、白い半透明のカーテンが暴れるように舞っていた。グレインの部屋の中で白いものは、ベッドのシーツと硬い革のソファだけである。あとは絨毯も本棚も文机もすべて黒い。
 グレインは、その白いシーツから出てきた。どうやら休んでいたらしかった。
「ただいま」
「おかえり。なにか分かったか?」
「休んでていいよ」
「大丈夫。もう呆れるくらい休んだ」
 彼は使用人室直通のベルを鳴らしてメイドを呼び、飲み物を三人分淹れてくれるように頼んだ。メイドはお茶を運んできた。グレンはコーヒーが好きなのにと首をかしげるリシュアに、グレインは苦笑してお茶を口に運ぶ。
「茶も好きだよ。コーヒーは薬との飲み合わせが悪いから、薬を飲んだ日はあまり飲めないんだ」
「まだ頭が痛いの?」
「今は別に。寝起きで少し、ぼうっとしてるかな」
 そういってグレインが後ろ髪に触れる。しかし風が部屋中をぐるぐると回って三人の髪を乱すので、グレインの髪に寝ぐせがあるかどうかはよく分からなかった。
「大丈夫だったのか、ウィルニーは」
「体調不良者が出たのと、ライフラインが一時停止したくらい。多分もう大丈夫」
「理由は分かったの?」
「確証は持てないけど、でも・・・多分間違いはないんじゃないかなという感じ。カースのところへ行って、色々と訊いてみないといけないけど、結論から言うと、お兄ちゃんと一緒にいたエルフの女の人が、魔力剥奪っていう術を使ったんじゃないかと――」
 魔力剥奪?
 スコルツァはそう訊き返そうとして――素早く立ち上がった。
 グレインが、まるで首を絞められているかのような呻き声をあげ、首をおさえて座っていたベッドから転げ落ちる。
「毒!?」
「違う。頭痛だよ」
「頭痛――こんな頭痛って・・・」
 スコルツァはリシュアがいない間に一度目にしているのだろう。真紅の目を大きく見開き、唇をわななかせているグレインをリシュアに任せ、薬を取るために文机に駆け寄る行動は冷静だった。
「グレン・・・大丈夫・・・? 思い出さなくて、いいんだよ」
 指先と瞼が痙攣を起こしている。触れている体は冷たい。
 一体何が起こっているのだろう。
 防衛本能の発露だとしたら、何が彼を襲っているのか。
 泣きそうになりながら、冷や汗で額にはりついた前髪を払ってやった時、リシュアはグレインの赤い目と目が合った。
 どろりと濁っている。
 グレインの両の眼球を通して、リシュアは誰かの双眸を見た。
「!」
 気付く。
 瞬時に右手に魔力を溜め、グレインの双眸に手をかざす。
 ばし、と何かが弾け飛ぶような音がして、グレインの指先の痙攣が止んだ。
「ああ・・・」
 小さくうめいて、リシュアは床に座り込んだ。
 スコルツァが傍にやってきて、そのまま力なく床に崩れ落ちたグレインを軽々とベッドに寝かせる。それから、床に座り込んだままだったリシュアをソファまで運んでくれた。
 グレインの部屋は風の音しかしない。
 冷たいお茶を流し込み、やっとリシュアが落ち着いた頃、スコルツァが静かに訊いた。
「何が起こったの?」
「グレンは誰かに魔導干渉を受けてる」
「思い出せない事柄と頭痛はそのせい?」
「分からない。もしかしたら記憶と頭痛については、やっぱりグレン自身の問題かもしれない。でも・・・誰かがグレンの目の奥にある魔力のツボの部分に干渉したんだ。いつ、どこでかも分からないけど」
 リシュアはさっき、それを瞬時に感じ取った。
 そうしてグレインの目の奥にあるその部分に魔導を叩きこんだ。瞬時に練ったのは補助系と治癒系の複合魔導で、魔導の解除の効力がある。手ごたえはあったが、解除には至らなかったのはすぐ分かった。
「グレンに干渉したのは、相当な使い手だと思う」
「現在進行形で干渉は続いているの?」
「それはないと思う。――それなら、私が気付かないはずなかったもの。あのね、たとえば・・・術者は過去にグレンに干渉して自分の魔力を残してくる。機会さえあれば簡単だと思う。だってグレンは魔力干渉にとても弱いから。そのあとはグレンの魔力にうまく同調して隠れている。同調さえできればこれも大丈夫・・・グレンの魔力は大きいから。そして何か――そう、たとえば今みたいに、魔力剥奪とか、そういう何か特定のキーワードで、瞬間的に頭痛とかの刺激を引き起こすようにする、そんな感じのシステムだと思う・・・」
 喋りながら考えている状態だったが、説明は筋が通っていると思った。
 スコルツァは眉をひそめて聞いていた。
「三年前だね。その機会があったのは。大体レイツの頭痛はその頃から始まったわけだし」
「王様に報告するべき?」
「・・・そうだね。一応」
 しばらくまた風の音だけが部屋を支配した。
「ウィルニーの話の続きをしようか」
 スコルツァは切り替えの早い人物だ。
 それに後れを取らないようにとしているうちに、リシュアもそれなりに切り替えが早くできるようになった。彼女はウィルニーでヒースと話したことを手早く説明する。
「それで私、帰ったらすぐにカースと会おうと思ってたの」
「僕たちも会う必要があるなって話してたんだよ。カースにお姉さんがいるんだって、リーア知ってた?」
 知らなかった。
 レイツも王様から聞いたみたいだけどね、とスコルツァは言う。
「とりあえず僕たちだけで会ってこない? ・・・レイツはちょっと危ないし」
 異論はなかった。

 


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