S a c r i f i c e  /  サ ク リ フ ァ イ ス
第二章( 1 )


 人魚の海底都市シェルから帰国して一月ほどが経った頃、グレインは父親のところへ行った。本来ならば帰国して早々に行きたかったのだが、国王としての職務に追われていてなかなかゆっくり話せる時間が取れなかったのだ。国王は、執務室に訪れたグレインの表情を見てすぐに何かを悟ったようだった。
 グレインは、ともすれば睨みつけていると形容してもいいほど、鋭い目つきをしている。
「母上の手紙を読んでください」
 有無を言わさぬ口調に、国王も黙って従う。まるで一瞥するほどの速さで目を通した彼は、便箋に仄かに漂う花の香りに目を細める。亡くした妻のことを思い出しているのだろうか。
「この通りにしたのか」
「フィマ・グランデという魔導師に会いました。ノゼリアへ行き加護を受け、その後チェレシーさんに会ってスークの指輪を加工してもらった。その間に俺たちは、ウィルニーで法族の襲撃に遭いました」
「何だって?」
「事なきを得ましたが」
 グレインは、眦(まなじり)を上げて国王の目を見据えた。
 姉のリビティアが母に生きうつしなら、グレインは父によく似ている。わざと間違えたような違いがいくつかあるだけだ。主にセインレド王家の者に発露するといわれる真紅の目どうしが合う。
「本当に何も知らないのですか。母上の死因も、災厄のことも、この魔導具のことも。それとも――災厄に深入りする可能性があるから言えない、と?」
 国王は眉間にしわを寄せて黙り込んでいる。だからグレインは続ける。
「チェレシーさんの孫娘、セリアという子も、これと同じ種類の魔導具を持っていました。母の死ぬ直前に、慌ただしく譲られたそうです。そのセリアの母とは友人同士だそうですね」
「エレナだな。そうだ」
「彼女は法族によって殺されたのではないかと、チェレシーさんは疑っていました。それに・・・霧生の乱は法族によって起こされたと思っている、という旨のことを、父上はチェレシーさんに言ったようですね」
「・・・ああ、そうだ」
「知っているんでしょう。どうして言わない!!?」
 グレインが激昂することなど、ほとんどない。子どもの頃から、わりとおとなしい子だった。
 国王はどこか痛ましそうに息子の顔を見、目を閉じた。
「怒るとシトラスにそっくりだ」
「―――!」
「何が訊きたい?」
「・・・・・・何もかも。・・・いや。災厄のことは――母上とチェレシーさんを口止めしている人が聞かないでくれと言ったから、それはいい。ただ、霧生の乱のこと、母上のことを」
「霧生の乱については実際に分かっているところは少ない。法族の仕業だと言ったのはシトラスだ。俺は実際には一人を除いて法族は見たことがないからな。その頃はすでにサラはいなかったし」
「サラ?」
「サフィエラ・エリクティル。名前しか知らないか。リシュアの母親だ。法族の女――魔女だった」
 驚くグレインに構いもせずに国王は続ける。
「その魔導具は、かつてサラがシトラスに贈ったものだ。贈ったというよりは託した部分が大きいのか――よくは知らない。サラには何か、とてつもない事情があったようだからな。他にも魔導具は幾つかあって、いずれもサラの友人たちに託された。俺が魔導具を託されなかったのは、やがて国を背負うことになっていたからだ。その頃にはもう、俺の父親、おまえのじいさんは病気にかかって死にかけてたからな」
 父親が二十二歳の若さで王位を継承したことはグレインも知っていた。
 ――国を背負うという重責と釣り合うまでに大事な魔導具だったのだろうか。
「友人に託したということは、スークの指輪も」
「元々は叔父の持ち物だと言っていただろう。あの子の叔父のハウラも、俺たちの友人だ。だからハウラは、棲んでいた樹海を出た後にこのセインレドを頼ってきた」
 そうして陽光アレルギーで亡くなったのだ。
 叔父に譲られたという、吸血鬼の陽光・銀アレルギーを無効化するという不思議な魔導具を持っていたスコルツァは、セインレドにやってきた時には大けがをして衰弱状態にあった。グレインが彼と初めて会ったのは、それからしばらくして見舞いに出向いた時だ。だから、ハウラという人物は見たことがない。
「霧生の乱のとき俺はヴェナールと一緒に騎士団の指揮を執っていた。戦況が一時危うくなって俺が避難させられた後、あいつは勝手に逝ってしまったが。・・・あいつが持っていた魔導具は無くなっていた。法族に奪われたのかもしれないな」
 国王はそこで言葉を切り、長らく黙った。少し気にするようにグレインを見て首をかしげる。
 気がかりだ、というように。
「それから――シトラスの死因なんだが。ずっとおまえに嘘を吐いていた」
「嘘?」
「あいつが死んだと思われるのは、おまえが国民の前でスピーチをしていた時だと言ったが、そうじゃない。シトラスが死んだのはおそらく、お前と一緒にいた時なんだ」

 濃い紫。
 血まみれの黒衣。
 叫ぶ母。
 嗤う女。
 そして、そして――

 『忌まわしい親不孝者め』

 その記憶は、グレインの視覚や聴覚を容赦なく襲いかかる。
 頭が痛い。視える、聴こえる、どれが幻でどれが現実なのか分からない。自分に剣を向ける母、自分を抱きしめる黒衣の女。冷たい唇が触れ、血の匂いと味がする。

 ――グレインがその意識を手放してなお、襲い来る悪夢は彼の精神を翻弄し続ける。

 『さあ、忘れるのよ』
 真っ赤な唇。
 『それを寄越すのだ』
 歪んだ眼差し。
 『何と忌まわしい』
 頬に触れる指先。

 その剣で殺しなさい、と“彼女”は云ったのだ――




「お目覚めになりましたね」
 明瞭にその声が飛び込んできて、グレインは自分がベッドに寝かされていることに気がついた。
 周囲で安堵の溜息が聞こえる。
 黄土色の髪をみつあみにした朱色の目の娘が、グレインの顔をそっと覗きこむ。
「ご気分はいかがですか?」
「カースか」
「はい。痛み止めを処方に参りました」
 王城の専属薬師であるティル・カースだった。姿はプリムローズと同じくらいの年齢だが、エルフなので見た目の年齢よりも長く生きている。彼女はグレインより一つか二つ年上だと聞いた。
 ちなみにエルフは姓名から先に名乗る習慣があり、彼女のファーストネームはカースである。だから、他種族風に言いかえれば、カース・ティルとなる。
「眠っておられるので処置はしませんでしたが・・・頭痛はありますか」
「多少、・・・頭が重いが。痛みはない」
 上体をゆっくり起こして辺りを見回した。王城の医務室だった。専属の医師の他に、メイドと看護師が数人いる。それから見慣れない銀髪の青年も。
 グレインの視線に気が付いて、カースがその青年を手招きした。
「こちらはディルハーツです。数年前からわたくしの助手として働いていますが、殿下にお目見えするのは初めてでしたね。――さあディルツ、挨拶をなさい。失礼のないように」
「はじめまして」
 ディルハーツという青年はにっこりと笑った。大体グレインと同い年くらいの見た目をしているが、その割には無垢で素直な感じがする。不思議な雰囲気の青年だった。屈託のなさが少しセリアと似ている。
「いつもより、少し強めの鎮痛剤も処方しておきますね。ここまで強いと、眠気などの副作用が出てしまう可能性もありますが・・・。ひどい時以外はあまり、服用なさらないようにしてください」
 ディルハーツがてきぱきと準備した机の上でカースが調合を始める。
 医師に脈拍や体温を計られ、とりあえず大丈夫という診断が下されると、カースの調合が終わるまですることがないらしいディルハーツが寄って来て、グレインの傍に座った。
「今は頭痛がするの?」
「! ディルツ、言葉遣いを直しなさい」
「いや、いいんだカース。・・・今は痛くない。カースの助手には、どうして?」
「四年くらい前に、記憶喪失のままカースのお店の前に倒れてたのを拾ってくれたんだ。それで一緒に住ませてくれたから、何か手伝いしたいなと思って」
 記憶喪失。それで子ども相手に話しているようなのか――と、少しグレインは納得した。
「記憶は取り戻せそうか?」
「分かんない。でも今がすごい楽しいから、別に戻らなくてもいいやって思ってる」
「そうか。でも自分が過去にしてきたことや見てきたことが分からないのは、怖くないか?」
 グレインの予想通り、ディルハーツは笑顔で首を振った。
「怖くない。怖いことなんかないよ。おれ、カースのこと好きだし」
「ディルツ」
「母親みたいになってるな。カース」
 背中を向けているカースが苦笑する気配がうかがえた。
 彼女とグレインとは、実はもう八年来の付き合いになる。カースもまた、リシュアやスコルツァと同じように、一時期は王城に引き取られていたのだ。カースの過去についてはよく知らないが、出会った当初は、どこか憔悴したような雰囲気があった。
 彼女がどういう伝手でセインレドの、しかも王城にやって来たのかをグレインは知らない。
 けれど父に聞いた話を思い出す。
 スコルツァの叔父のハウラは、国王夫妻と友人だった関係でセインレドに来たと言っていた。ならカースもそれでセインレドの国王夫妻を頼ってきたのだろうか。そうでなければいきなり、王城を訪ねるような真似はしないだろう。だとしたら魔導具を持っている可能性も?
 その時、ディルハーツがグレインの枕元に立てかけてある装飾剣に手を伸ばした。
「これはグレインの?」
「――ああ。誰かが持ってきてくれたのか」
「国王が」
 カースがてきぱきと手を動かしながら答えてくれる。
「そういえばその剣は、ディルツの持っているものにとてもよく似ていますね」
「ほとんど同じじゃない? この宝石の色以外は」
 その言葉に驚いたのはグレインだ。
 何だって、と訊き返すと、その反応に驚いたのかカースが振り向いた。
「わたくしの店の前に倒れていたディルツが持っていた唯一の持ち物に、その剣はよく似ているのです。殿下がお持ちのものですから珍しいものなのでしょうが、それがどうか?」
 カースは早い時期に自立して王城を出て行ったし、王妃が亡くなった時のことも詳しくは知らない。
 グレインは、自分の持つ装飾剣が母親の形見であると短く説明した上で、まじまじと剣を眺めているディルハーツに訊ねる。
「それを見せてくれないか? できるだけ早くに会いに行くから」
「いいよ。でも忙しいんじゃないの? おれが持ってくるけど」
「騎士でない限りは、王城に武具を持ちこむことはできないのですよ、ディルツ」
 カースは調合し終えた薬と処方箋を、薄い透明の袋に詰めてグレインに渡した。
「白い方がいつもの鎮痛剤、オレンジ色の方が強めの鎮痛剤です。考えうる副作用はすべて書きましたが、眠気以外には大した影響は出ないかと思われます」
「ああ。ありがとう」
「リビティア姫さまの生誕祭はもう明日ですから、殿下もお忙しくなるでしょう。わたくしたちも祝いごとの準備がありますし・・・そうですね、生誕祭が終わったら、いつでもいらしてください。連絡は要りませんから」
「悪いな」
「いえ、まったく構いませんよ。よろしければお茶もお召し上がりになって行ってくださいな。それでは」
 カースが茶色の鞄に色々と道具や薬草を詰め込み、立ちあがる。
 医務室の外の廊下で待っているメイドに連れられて帰る二人を見送った後、とりあえず私室に戻ろうかと、衣服の乱れを直す。剣と薬を持って医務室から出かけたところで、入室してくる医師とはち合わせた。
「殿下。ご気分はもうよろしいのですか?」
「大丈夫だ。とりあえず、部屋に戻って着替えないと」
 少し寝汗をかいていたらしい。
 しかし、医師の後ろに立っていた人物に気がついて、グレインは目を丸くした。
「父上」
「思ったより平気そうだな」
 酒も煙草も受け付けない体質で、健康体そのものの国王が医務室に来ることはほとんどない。  慣れない場所に少し居心地が悪そうな父を見て、グレインは笑いをこらえる。自分の城であるくせに。まあ、自分のように医務室の世話になりすぎるよりはずっといいとは思うのだが。
 医師に退室を命じると、国王は息子の目を射るように見つめた。
「どこまで憶えてる?」

 


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