|
S a c r i f i c e / サ ク リ フ ァ イ ス
第一章( 9 )
グレインとスコルツァが宿に戻ると、フロントの男は驚いたように二人を見た。いつの間に出て行ったのだ、と言いたげな様子にグレインが眉をひそめると、不興を買ったと思ったのか彼は黙って深々と一礼をした。
無論、グレインが眉をひそめたのは、不躾だと怒ったからではない。怪訝だったのだ。
グレインが広場に出て行く時、このフロントの男は眠るようにカウンターに突っ伏していた。やはりあれは居睡りなどではなかったのだ。
足早に階段を上り、リシュアの部屋の前まで行く。
グレインが何度かノックをしたが返答はなく、耳のとてもいいスコルツァが、「寝息が聞こえる」と言った。何度か扉ごしに呼びかけると、やっと目覚めたような気配がしたらしい。スコルツァが、
「リーア、僕たちだよ。出かける支度をして起きて」
「……なにかあったの?」
寝ぼけてはいるが、覚醒したようだった。あとで話す、とグレインが言うと、彼女はすぐに出てきた。まだ化粧をするには早い年頃だし、そもそもあまり見た目に頓着しない性格である。それでも軽い寝ぐせが付いている程度で、あとはしっかりした身なりだった。
家族を失ってからの一時期は王城で育てられたので、こういうところはちゃんとしている。
セリアの待っている噴水広場に戻るまでの少しの間に事情をかいつまんで説明すると、リシュアは不機嫌さにも似た怪訝そうな表情を浮かべた。
「全然気が付かなかった。セリアがそんな魔導をたくさん使ってたら、いくら何でも気付くと思うのに――それに、私が魔導にかけられるなんて」
「眠りにつかせる魔導もあるのか」
「いくつかあるよ。カテゴリでいえば、補助系に分類されるのが普通だけど。攻撃系の催眠魔導もあって、それだとこんなにさっぱりは起きられないから、たぶん補助系の魔導だね。かなりの使い手だと思う」
「おまえが掛けられるくらいだからな」
「それもあるけど、夜中に噴水広場で馬鹿騒ぎやってるのに近隣の人が誰も起きてこなかったってことは、あの宿のフロントマンだけじゃなくて、近隣の人みんな眠らされてた可能性が高い。補助系魔導と結界系魔導の合わせ技かな。どっちにしても相手は厄介な魔導師ね。セリアを狙ってたらしいのは、確かなの?」
「うん。隙あらばセリアに向かって攻撃してた感じ。僕のことは邪魔な壁にしか見てなかったんじゃないかな。もしかしたらセリアのことは生けどりしたかったのかもしれない。僕に対しては容赦なく鎌とか拳とか飛んできたけど、セリアには多少加減してたように思えたから」
脅威が去ったとはいえ独りにするのが心配で、急ぎ足でセリアの待つ噴水まで行くと、彼女も不安そうな目をして、両手を胸の前で組んで待っていた。
「ごめんね遅くなって。私寝てたの」
「催眠の魔導だったみたいね。でも、どうしてリシュアが掛かってしまったんだろう」
「……というよりは、どうして俺とセリアとスコルツァは掛からなかったんだ? そっちの方が変だ」
「そうだね。もし噴水広場にいる人にはその魔導が掛からなかった、っていう状況だったとしても、宿にいたレイツは途中で目覚めて、こっちに来た。それはどうしてだろうね」
ましてやグレインとスコルツァは魔導師ではないし、魔導に特別な耐性があるわけでもない。
セリアは、泡で三人を包み込むと、噴水に入るように告げた。
「とりあえず行こう。おばあさまに訊けば、なにか分かるかもしれないから」
チェレシーの待つ海底都市に行く途中でも、セリアは不安そうに拳を握りしめていた。
見かねたグレインが、自分を包む泡を彼女のそばに寄せて言う。
「怖かっただろうが、スークも、もう変な感じはしないと言ってる。あいつらは去った。それに水中には、陸上の生物は手出しできないんだろう? 心配するな、きっと大丈夫だ」
穏やかな励ましに、セリアは少しびっくりしたあと微笑む。
「ありがとう。確かに怖かったけど、いまの不安はそれじゃないの。あたし、あの首飾りがないと、なんだか不安で仕方がないの」
「あの蒼い宝玉のついた?」
「うん。あれ、あたしの母さんの形見なの。死ぬ前にくれた大事なものなの、だから……」
おばあさまが持って行ったとはいえ心配だと呟くセリアを、グレインはじっと見つめていた。それを、リシュアとスコルツァは少し離れたところで見つめる。
(―― 一緒、だ)
グレインと一緒だ。
スコルツァもリシュアも同じことを思っていた。スコルツァは、一足先にアンゼリカへ向かう船で彼女と出会った時に聞いた言葉を思い出す。
『あたし、もしかしたら母さんを殺したのかなあ。本当のことがわからないんだよ』
『母さんを殺したのは俺だって、頭のなかが煩く鳴るんだ』
グレインが、腰に佩いた、母の形見の装飾剣を見下ろしている。
そして痛みを耐えるような表情で目を閉じたが、すぐに元通りの穏やかな笑みを浮かべた。
「チェレシーさんに奪われたわけじゃないんだろう。ちゃんと返してもらえる。大丈夫」
「――そうだね。ありがとう。大丈夫だね」
リシュアとスコルツァは、ただじっと二人を見ていた。
母の死に囚われ、死ぬ間際に贈り物を受けているという不思議な共通点を持つその二人を。
**
チェレシーの寝殿である真っ白な貝殻の前まで着くと、光る魚たちを無数にはべらせた海底の女王は、にやりと笑って四人を手招いた。改めてこうして見ると、彼女はかなり美しかった。
「頼まれていたものができた。これがスコルツァのピアス。どうせ外す機会がないと思って、取れにくいようにしてある。銀色にしたから、これを狙いに来るっていうおまえの同胞も、アレルギーを躊躇して近寄りたがらないだろう。それからセリア」
繊細な意匠のピアスをスコルツァが装着する間、チェレシーは孫娘に銀色の腕輪を渡した。蒼い宝玉が嵌っていることから、セリアが彼女に預けたあの母の形見であるらしい。
「おまえのも加工した。首飾りだと着脱が楽で、奪われやすい。これも取れにくいようにしてあるから、あまり着けたり外したりしないように」
「おばあさま、奪われるって……?」
「四人とも中へ入りな。話はそこでしよう――ああ、この中は意外と広いから安心しろ」
グレインたちを包んでいた泡が解かれ(もちろん呼吸はできる)、簡易な椅子のような台が用意された。三人がそこへ腰かけると、セリアもスコルツァの隣に行き、四人はチェレシーを半円に囲う形で落ち着いた。
チェレシーは四人の顔をぐるりと見渡すと、光る魚たちを追いやりながら言った。
「さて、おまえたちの疑問点を簡潔に言ってくれ。一問一答形式で答えられるものは答える。そうだな――親父譲りでまとめの要領がよさそうだ。グレインおまえから言え」
いささか暴論のような気もするが――と思いながらも、グレインは一つずつ言った。
「黒衣の者たちの正体についてご存知ですか」
「法族と呼ばれる『果て』の住民だろう。おそらくは法族の男――死神だと思われる。おまえたち、法族のことは知っているか?」
「文献で読みましたし実際に魔女に会いました。――黒衣の者たちは霧生の乱に関係がありますか」
「あるだろう。セインレドやその隣国マーベリックを襲撃したのは法族だと思われる」
「なぜそれをご存知ですか」
「主にグラント――おまえの親父から伝え聞いた」
「あなたは私の両親とどういう経緯で知り合ったのですか」
「グラントとシトラスはあたしの娘と友人関係にあった。娘は当然だがセリアの母で、名をエレナというのだが。グラントとはその後、外交関係で改めて面識を持った。あいつも友人だ。シトラスとは直接の面識はない」
「母の手紙を読んでここまで辿り着きました。――その手紙には災厄とあったがそれは何ですか」
「言えない」
「なぜ言えないのですか」
「おまえたちの災厄への深入りを心配する者から堅く口止めされている」
「それは誰ですか」
「言えない。敵ではない。それ以上は答えられない」
グレインは、母のシトラスも手紙の中で『災厄に関係するのを避けるため多くは言えない』といっていたことを思い出す。
自分たち(もしくはその中の誰か)に愛情を持つ者か?
「……。先程の噴水広場での事件では、敵方は何を目的としていたのでしょうか」
「セリアの持っていた、特殊な魔導具を奪うためだろう。さっき腕輪に加工した、その宝玉のことだ。もしスコルツァがその時ピアスを持っていれば、それも狙われただろう。おまえのその装飾剣が狙われなかったのは、魔導具として全く覚醒していない状態だから敵方に気付かれなかったのだろう。今後覚醒するようなことがあれば狙われるかもしれない」
「噴水広場での事件の際、なぜ催眠の魔導は我々三人にかからなかったのでしょう」
「状況からして、その特殊な魔導具のおかげだろうと思われる。スコルツァは魔導具を持つセリアのそばにいたからか――まあ詳しくは知らないが。おまえたち三人より魔導的素質の高いリシュアは、魔導具を持たないがために眠っていたのだろう」
「あなたの娘さんが魔導具をどこで入手されたのかご存知ですか」
「知らない。娘は何も言わなかった」
「私も母がこのようなものを持っていることは全く知りませんでした。私からの質問は終わりです。ありがとうございました」
「どういたしまして。答えに不満なところもあるようだがな」
「――ああ、申し訳ありませんが質問を一つ追加させていただけませんか」
「どうぞ」
「今の状態は、その『災厄』に深入りしていることにはならないのですか」
「まだ大丈夫だろう。魔導具を持っている時点で巻き込まれてはいるけどな」
グレインは軽く会釈をして質問を終わらせた。
訊きたかったことはほとんどグレインが質問し尽くしたのか、他の三人は特に何も訊こうとはしなかった。しかし気になるといえばやはり、災厄の内容と、それを口止めしている者についてだ。
チェレシーもそれは分かっているのか、軽い口調で言った。
「黙っていなければ、おまえたちは確実に災厄に向かって首を突っ込むために突き進んでいくだろう。災厄の当事者ではないあたしに災厄の内容が話されたのは、おまえたちを守るため、そして災厄に巻き込ませるのを避けるためだ。ただあたしにも話されてないことは沢山あるようだ。……さて。その災厄は、奴ら――法族たちによって引き起こされようとしているものらしい。今、『ある者たち』が奴らとの戦いに備えている。おまえたちが実際に法族と戦うことはないし、それは望まれていないことだ。しかし、その『ある者たち』が全力で奴らと戦うためには、おまえたちの力添えが不可欠だ。力添えとはすなわち、その特殊な魔導具を守ることだ。それがある限り、災厄は最悪の形では訪れないだろうという。予想らしいがな。何があっても守りきれ――死なない限りは決して手放すな。いいか」
「ねえ、おばあさま」
「どうした」
「特殊な魔導具を守るなら、水中に隠しちゃった方がいいんじゃないかな。持っていたら、またさっきみたいに法族に襲われるかもしれないじゃない。陸上の生き物は、水中には手出しできないって言うでしょ。法族は陸上の生き物なんでしょう?」
「そのピアスは持っていないとスコルツァは困るだろう」
「確かに」
チェレシーのぴしっと言った一言にスコルツァも頷く。
深刻な顔で、チェレシーは付け加えた。
「それに水中でも安全ではない。――事実、エレナは死んだだろう」
その言葉に、セリアは凍りつく。
視線だけをどこかに投げやり、唇を微かに動かして訊く。
「母さんは……法族にやられたの?」
「あの子の死には、あまりに不審な点が多すぎる。魔力をすべて失った状態で死んでいた。普通はどんな病気でもそうはならない。だからといって法族がやったという証拠も全くない。ただ不審すぎて、親のあたしは自然死だと認めたくないだけさ。それに死因だけじゃない。その宝玉を慌ただしくセリアに譲ったことも気になっている。間接的に何かに関係しているかもしれない」
グレインは表情一つ変えずにそれを聞いていたが、内心では自分の母親のことを考えていた。母の死因は何だっただろうか? グレインは、母が突然死んだということしか知らないのだ。そうして、もしかしたら自分が殺したのかもしれないという強迫観念に苛まれている。
「……要するに僕たちは、さっきみたいな襲撃に気を付けつつ、これを守り続けてればいいんだね」
「そういうことだ。おそらく今年の内に、戦いは人知れず始まるだろう、と『ある者たち』は言っている。スコルツァの指輪を加工しろと言ったのは恐らく、それの存在が吸血鬼を中心に広く知られているから、隠すためにという意図があるんだろう。基本的に魔導具は隠して守れ。振りかざしたっていいことはない――まあグレインの剣は武器になるがな。どうしようもなくなったら手放せ。命を優先するんだ。いいな」
魔導具を持つ三人は頷く。
そこで、スコルツァが首をかしげた。
「そういえば王妃さまがリーアに守護を受けさせたのは何で?」
「守護?」
チェレシーが怪訝そうな顔をする。
彼女はどうやら知らないらしい。元々、災厄の当事者ではないとも言っていた。
――世界中を包む災厄だと、王妃の手紙には書いてあった。世界中を包む災厄に当事者がいるというのはどういうことだろう? 世界中なのだから、世界中の人間が当事者ではないのだろうか。
そこまで考えてスコルツァは首を振った。こうして考えること自体が、災厄への深入りの始まりなのだろうと思ったからだ。
(僕はただ、このピアスを守ればいい。そしてレイツとリーアを)
「さあ、陰鬱な話はこれで終わりだ」
いつの間にか閉じられていた貝殻がゆっくりと開いていく。
ふわりと水中に眩いばかりの光が満ち溢れた。
陸上では、夜が明けたのだ。
海の中は朝陽を吸いこんで輝いている。
「気を付けて帰って。また来てね――今度は遊びにね」
見送ってくれたセリアの真珠色の髪が、きらきらと輝いた。
← / × / →
|