S a c r i f i c e  /  サ ク リ フ ァ イ ス
第一章( 8 )


 深夜のウィルニーは、静まりかえった中に、遠くさざ波の音だけがする。
 時間が時間なだけに眠気を訴えたリシュアは、一足先にチェレシーが取っておいてくれた宿へ行った。グレインはしばらくセリアと歓談していたが、やはり疲れたのか宿へ戻って行った。
 今は種族的に夜行性である吸血鬼のスコルツァと、そもそも睡眠というものがあまり必要ない人魚のセリアだけが噴水広場に残っていた。
「大事な指輪がなくって不安になったりしない? いきなり朝が来たらどうしよう、とか」
「思わないよ。夜が明けるまで朝が来ないのは当たり前だし――多少、陽光には耐性があるんだ。昔に大やけどをしたせいだと思うけど」
「やけど?」
「セインレドに向かう少し前だから、八年前かな」
 そう言ってスコルツァはローブの裾をまくり、左腕を見せた。
 ただれた後が少しだけ残っている。
「痛かった?」
「ほとんど意識失ってたから、痛みは特に。ハウラと――叔父と一緒に吸血鬼の住む樹海を出た後も、意識を失ったり取り戻したりの連続で、落ち着いたのはセインレドに着いてからだったかな。ちょうどレイツが僕の様子見に来てる時に目が覚めたんだ」
 それが出会いだった。
 初めて人間というものを真っ向に見て、そして彼の、自分とは真逆の赤い目が綺麗だと思った。
 ――ハウラが殺したと胡乱げに記憶している、アンゼリカで出会ったルネという娘と彼女の両親のことは、ハウラに担がれた状態でしか見なかった。
 やけどで覚醒と昏睡を繰り返していた状態でもそのことははっきり覚えている。
 けれど、吸血を厭ったあの叔父が、どうして彼らが死に至るまで吸血したのか。
「スコルツァ? どうしたの?」
 セリアが不思議そうに覗き込んできたので、彼は首を振って、なんでもないと言った。
「その指輪はどうやって手に入れたの?」
「分かんない。気付いたら持ってたんだ。訊こうにも、ハウラはもう死んじゃったし」
「叔父さんがくれたのかもしれないよ。――あ! 思い出した!」
 セリアが驚いた拍子に、彼女が浸かっていた噴水の水も一緒に巻き起こって、スコルツァがとっさに避ける。
「あ、ごめん! ・・・で、前に会った時に、あたしスコルツァにお母さんの形見を見せてあげるって言ったよね」
「言ってたね」
「きれいだから、スコルツァに見てほしいの。持ってくるからちょっと待ってて!」
 ふわりとセリアが水の中に姿を消した。
 飛沫ひとつ上がらない。
 静寂を取り戻したウィルニーの噴水広場に残されて、スコルツァは何となく空を見上げる。
 ――月ひとつない暗い夜。星は見えるから、天気はいいのだろうが。

 おかしい。

(今日は新月の夜じゃないはずだ)
「お待たせー! 見て!」
 人魚は、水中でかなりの移動速度を誇る。
 あっという間に戻ってきたセリアは、細い首にかけていたネックレスの先端をつまみあげた。
 蒼く美しい宝玉。
 なんだか懐かしいような。
「この宝石、フィーニーンっていう名前が付いてるみたいなの」
 闇が深くなり、蒼い宝玉は一層輝く。
「・・・・・・」
「スコルツァ?」
「ウィルニーはいつもこんな夜なの?」
 質問の意図が分からず、セリアは首をかしげる。
 けれど、吸血鬼として月光を浴びて生きてきたスコルツァには分かる。
 人為的に隠された月。
 つくられた闇。
「――変だ」
 事実、彼の指摘は正しかった。
 その瞬間、スコルツァとセリアの間を切り裂くように、紫色の雷が閃いた。


***


 ざわり、と。
 それまで凪いでいた心が、騒ぎ始めた。

 寝台に横たわったまま目を開けていたグレインは、言いようもない悲しみのような、忘れていたことを思い出させる催促のような、不思議なざわめきを感じて身を起こす。
 外が、静かなのに騒がしい。
 グレインは深呼吸をひとつすると寝台から降りて立ち上がった。頭痛の前兆のようなものが湧き起こる。彼はこの奇妙な偏頭痛のせいで、たびたび睡眠を妨害されることはあったが、今日の感じはいつものとは違うような気がした。
 窓辺に寄り、ゆっくりとカーテンを開ける。
 人魚族の長チェレシーが取ってくれた宿は素晴らしいもので、とかく景観がよかった。先程までいた噴水広場も一望できる。
「――?」
 目を凝らす。
 広場で、多数の奇妙な影と立ち回っている細い人影と人魚の姿を認識した瞬間、反射的にグレインは剣を掴んで部屋を飛び出した。
 スコルツァとセリアが何者かに襲われている。
 誰に? ――スコルツァの持つ指輪を求める同胞にか? しかし彼は今指輪を所持していないし、そもそも吸血鬼があんなに連れ立って中央大陸まで来るだろうか。夜のうちに樹海に戻れなければ陽光の被害に遭うことは間違いないのに。
 階段を駆け降りると、フロントの人間がカウンターに突っ伏している。普通の居睡りではなさそうなその様子に焦燥感が増す。なにかが起きている。そういえばリシュアは大丈夫なのか? 確認してから降りてくれば良かった。
 とにかくスコルツァとセリアに合流するのが先だと判断したグレインは、全速力で駆けて行く。
 広場に到着すると、やはり彼が窓辺から見たものは幻覚ではなく、スコルツァとセリアが多数の奇妙な人影と交戦していた。
 セリアがグレインに気付き、彼の近くの噴水まで水のアーチを掛けて移動してくる。
「どうした、あいつらは何者だ?」
「分からないの! 突然襲ってきて――グレイン、スコルツァを手伝って。あたしは人魚の仲間を呼んでくる」
 セリアがそう言って海底都市へ繋がる噴水に飛び込もうとしたとき、それを阻むように一斉に人影が襲いかかってくる。
「レイツ! そいつらはセリアが狙いだ!」
「ええ、あたしなの!?」
 グレインは鞘を付けたまま、思い切り剣で敵の一人を殴打した。
 敵方は全員似たような黒衣を着ていて、闇にまぎれて音もなく動く。
 背後を取られたと知覚した瞬間、反射的にグレインは背後に向かって突きを繰り出した。うっ、と低く呻いて――男のようだ――その敵が倒れる。
「レイツは相変わらずの反射神経だね」
 元々人間族とは較べものにならない身体能力を持つ吸血鬼のスコルツァは、グレインが来たことで分散して少なくなった自分の周りの敵を、さっさと片付ける。
 仕込み杖の刃は出していない。グレイン同様、殴って昏倒させているようだった。
「セリア、とりあえず隙を見て逃げ込め」
 水流を操って攻撃している彼女にグレインが指示する。
 スコルツァが片付けた者でざっと五人、グレインが出会い頭に二人を倒し、セリアも一人倒していた。それでもまだ、彼らを囲めるほどの敵が残っている。
 セリアを挟んで背中合わせにグレインとスコルツァが立つ。態勢を立て直した相手方は、統制のとれた動きで再び襲いかかってきた。
 グレインの目の前に一人、足元からも一人が突っ込んできて鎌らしき武器を振るう。それを飛んで避け、すぐに目の前の敵の刃――これも鎌らしい――を剣の鞘で受け止め、ぎりぎりと押し合う。
 その相手の、黒衣の奥に光る紫色の目を見た瞬間。
 グレインは彼らが何なのかを思い出した。
「おまえら、っ――霧生の乱の奴らか!」
「レイツ?」
「どういうことだ・・・!」
 グレインは鎌を振り払い、多段突きを繰り出す。
 一人にはまともに当たって昏倒させたが、もう一人には避けて距離を取られた。
 セリアがグレインの背後に立って両手に魔力を溜めながら言う。
「その話気になるな。あたし、霧生の乱のことが知りたいの」
「こいつら捕まえれば聞けるんじゃない?」
 スコルツァは、もう杖を使うのは止めて体術に移行したようだ。実に容赦ない蹴りで倒していく。――グレインも交戦してみて感じていたことだが、彼らはあまり強くはないようだ。鎌の変則的な攻撃にさえ注意すれば、鞘を抜かなくても相手ができる。
 それより。
「深夜とはいえ、街の人たちが全く騒ぎに気付かないのはおかしくないか? ――さっき宿を出るとき、フロントの人が倒れるように眠ってた。心配だ」
「早いとこ終わらせないとね。ついでに捕まえちゃって話も聞く、と」
 セリアが数少なくなった黒衣の者目がけて両手の魔力を放つ。
「濁流よ逆巻けッ!」
 彼女の掌から勢いよく飛び出した濁流が、敵を見る間に巻き込んでいく。
 それを間一髪避けて襲いかかってきた最後の一人を、グレインが鞘で容赦なく殴打する。
 地に沈んだ黒衣を見下ろして、息を深く吐いた。
「・・・どうやら終わった、ようだが」
「でも、セリアの魔導で倒した奴はともかく、殴っただけじゃ心配だよ。すぐ縛るなり――」
「無駄だ」
 背後から聞こえた声に、三人は驚いて振り向いた。
 いつの間にか、チェレシーが噴水を巻き上げて鎮座している。
 厳しい目で、倒れた黒衣の者たちを見下ろして、呟く。
「変だと思って来てみたが――とりあえず無事で良かった」
「何とかなりました。ところで・・・捕えても無駄というのは」
「こいつらは敗北と悟ると、じきに消えるからさ。――ほら」
 ふわりと霧が拡散するように。
 十人以上もいた黒衣の者たちの全員が、瞬時に闇に掻き消えた。
 何もなくなった地面を見つめて、グレインが呟く。
「・・・・・・今の奴らは、霧生の乱の時に城下都市で横行していた者どもと同じような風貌でした。感じもよく似ている――奴らが何者なのか、ご存知ですか」
 チェレシーはグレインを見て、溜息と共に言った。
「あたしの知っている――いや、言える限りのことを説明する。吸血鬼の坊やのピアスもできたしね。とりあえずぐっすり眠ってるはずの嬢ちゃん起こしてセリアと一緒にシェルにおいで。――セリア、その宝玉は一旦あたしに預けな。すぐに返すから」
 戸惑い気味に、それでもセリアは母親の形見を祖母に渡した。
 音も立てずにチェレシーが海底へ消える。
「・・・ね、とりあえずリシュアを起こしてきたら?」
 不安そうなセリアの言葉に従って、二人は一度広場を後にした。

 


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