S a c r i f i c e  /  サ ク リ フ ァ イ ス
第一章( 5 )


 船を下りるとすぐに、船の検閲員の制服を着た男性が歩み寄ってきた。
 リシュアが眉を寄せる。
「どうした?」
「これ、人間じゃないね」
 彼が無言で恭しく差し出してきた書類を受け取ると、男性は霧のように掻き消えた。
 驚くグレインと、興味深げに男性が消えた後を見つめるスコルツァに、魔導師のリシュアが説明をする。
「人魚族は陸上には出られないから、内陸に用事がある場合には、水の魔導で作った人形を用いるの。この書類、人魚族の紋章が彫ってあるし、間違いないね」
「魔導師でないと分からないもんだな」
「いまの人形の作り手も、結構上手だったからね。作るのが下手な人魚のはすぐわかる」
 紙とは違う不思議な材質で作られたその書類には、目が覚めるような青いインクで、こう記してあった。

 ――あすの夜、水上都市ウィルニーの中心部にある噴水広場にてお待ちしております。なお、当方多忙のため、迎えには孫娘を遣わします。真珠色の髪をしているのですぐお分かりになるでしょう。それではお会いできる時を楽しみに。 チェレシー・シエラ・ルグエント

「真珠色の髪? 珍しいな」
「普通、みんな蒼いのにね。特別変異か何かかな」
「・・・セリア?」
 グレインとリシュアが、びっくりしてスコルツァを見る。
 昨晩遅くから今朝早くにかけて、甲板で話していた人魚の髪も真珠色だというと、グレインが納得いったように頷いた。
「きっとそれじゃ、そのセリアという彼女だろうな。人魚族長のチェレシーさんは、蒼海にある海底都市の出身だというから」
 彼女と再会するのだと思うと、なんだかスコルツァは変な気分になった。
 嫌じゃない。けれど変な感じだ。
 変としかいいようがない。
 何か思い出しそうな。
「ところで灯台ってたくさんあるけど、グランデさんと待ち合わせしてるのはどれなの?」
「港の北側にある三つのうちのどれかだってことだった。当日の混み合いとか状況によって決めるそうだから――目印があるって聞いたんだが」
 二人が会話している横で、もやもやした気分を振り払って顔を上げたスコルツァは、あ――と短く声をあげた。
(あの人)
「どうした? スーク」
 グレインが心配そうに見て、それからスコルツァの視線を追う。
 三つあるうちの中央の灯台の前に、白い法衣を着た、グレインより少し年上程度の女性が立っている。見たところ普通の女性だ。
「あの人がどうかしたのか?」
「いや、分からないけど・・・何か・・・」
 三人ともが立ち止まって凝視しているので、その女性も三人の方に気付いた。
 ちらりと見て一度目を逸らしたが、やがてまた振り向いて凝視してくる。
 往来を隔てて見つめ合う形になった。
 リシュアはスコルツァの腕にしがみつきながら凝視し返しているし、スコルツァはやたらと首を傾げながら何かを呟いているし、仕方なく――こういう場合ほとんどなのだが――グレインが歩み寄って穏やかな物腰で謝った。
「不躾に申し訳ありません。連れが知り合いに似ていると言ったものですから」
「いいえ、あの――失礼ですが、セインレド王国からいらっしゃった方でしょうか」
「そうですが」
 セインレドには特に訛りというものはないし(王族のグレインなら尚更だ)、外見的特徴もないと思うのだが、なぜ分かったのだろう。そこまで考えてグレインは思い当たった。
「間違いでしたらすみません。グランデさんのお知り合いの方でしょうか」
「ああ、そうです! ではやはり――恐れ多くも、グレイン=ハーツ殿下では?」
「はい」
 グレインは動かないでこちらを見つめているリシュアとスコルツァに目線だけで来るように促してから、再び法衣を着たその娘を見つめた。
「あなたは?」
「申し遅れました。ルネ・グランデと申します。王妃さまに大事な役目を仰せつかったフィマ・グランデ魔導師の姪にあたるものです」
 三人はそのままルネに導かれて、中央の灯台に入って行った。
 港町の中央にあるような、観光地も兼ねた灯台ではないようなので、中は薄暗く、人はだれもいなかった。ひとりを除いては。
 その老婆は、グレインたち三人の姿を見ると、立ちあがって出迎えた。
 それまで小さかったランプの火が大きく灯る。
「お待ち申し上げておりました」
 魔導師フィマ・グランデは、皺の薄い、穏やかな顔つきの小柄な老婦人だった。
 自己紹介は省いて、三人はフィマの向かい側の椅子にそれぞれ腰掛けた。ルネはただ目印がわりに立っていたようで、すぐに会釈して出て行った。
 その後ろを、やはり首を傾げてスコルツァが見送る。
「どうしたのルツァ、さっきから。あの人、知り合い?」
「いや・・・分からないからいいや。何でもない」
 フィマはスコルツァを不思議そうに見つめていたが、やがて目を細めた。
 何かを回顧するようなその仕草に気が付いたのは彼女を見ていたグレインだけであったが、その目の色に何か悲しげなものがあったので訊ねることはしなかった。
 そのことに気が付いたフィマは、グレインに礼の意を込めて軽く目を伏せ、それから老人とは思えないほど鋭く意志のこもった眼差しで三人を見据えた。

「霧生の乱と呼ばれる、あの忌々しい災厄から八年が経ちました。いま新たな災厄が、あなた達とその大切な人々に降りかかろうとしています。あなた達には亡き王妃さまを始めとした人々の意志を継ぎ、与えられたお役目を果たしていただきたいのです」


「それはどういう・・・」
「どうぞ、こちらへ」
 その言葉の詳しい説明もせず、フィマは三人を連れて灯台の地下へおりて行く。
 揺らめく蝋燭の灯火でうつし出された影は、グレインたち三人分のものしかないのだが、そのことについて誰も訊ねていなかった。
 問いかけようとしたグレインたちを、リシュアが首を振って止めたからだ。
 魔導の類なのだろうかと、グレインなんかは勝手に考えているのだが。
「ノゼリアへは、ワープゲートで?」
「はい。私は契約を結んでおりますので」
 ワープゲートとは言わば魔導を使った転移装置のようなものである。
 高位の魔導師であれば設置できる能力を持つというが、ワープゲートを置くには双方向の同意および契約が必要となる。以前グレインがそれについて、高位魔導師であるリシュアに訊ねてみた時、彼女は『契約違反したり無契約で設置した場合、ワープゲートの行き先はすべて魔導中枢院の監獄になる』と言っていた。『それを罠にして誰かを嵌める人もいる』とも。
 グレインに疑う気はないが、リシュアはそれでも念のためと思ったのか、彼女に契約の証を見せるよう望んだ。
「どうぞ。これです」
 嫌な顔ひとつせず、フィマは法衣の腕をまくってみせる。
 黒いインクで描かれたような紋章がある。リシュアは頷いて礼を言った。
「中枢院の紋章がない。彼らの力の及ばないところに行くのね・・・」
「ええ。ノゼリアへは、許された者以外は誰ひとりとして干渉できません。魔導中枢院の長でさえ」
 魔導のことがよく分からないグレインとスコルツァは、ただ聞いているだけだ。
 それから曲がりくねった廊下を五分ほども進むと、闇の中に青白い光が浮かび上がっていた。
「リーア、あれがワープゲート?」
「そうだよ」
 フィマが腕をまくり、先ほどリシュアに見せた紋章を光にかざす。
 四人を、青白い光が照らす。
 やはり老婆に影はできなかった。
「参ります」
 視界がぐらりと揺れた。


***


『あなたにお願いがあるの。主をなくしてなお、生きることを強要するのはつらいけど』


***


 目を開けると、一面が真っ白だった。
 空も地も、建築物も何もかも。
「誰もいないのですか?」
「おりません。ノゼリアは八年前、無人になりました」
「・・・八年前ね」
 スコルツァが呟く。
 ルネという女性と出会ってから、彼はずっと考え込んでいる。――もしくは、セリアという人魚と出会った夜からか。
 そんな彼の様子を横目で見ながら、グレインが老婆に訊ねる。
「霧生の乱に、何か関係がしているのでしょうか。先ほども、新たな災厄、とおっしゃっていましたが」
「詳しいことは分かりません。新たな災厄がある、そのことしかわたしは知りません。・・・わたしは、王妃さまの願いに応えてここにいるだけです」
「母の願いというのは、リシュアに加護を受けさせるということですか?」
「そうです。――さあ。着きました」
 フィマが立ち止まった。
 三人が見上げると、短い階段の上に、不思議な造形をした小さな社が建っていた。
 数人入ればいっぱいになってしまうほどの小ささだが、せまい感じはなく、むしろ荘厳で広々とした感じすら受ける。
「リシュアちゃん、中へどうぞ。中へ入ると、魔導具が置いてあります。それに触れたら、わたしに合図をください。短い文言を唱えれば終わりです」
 リシュアは頷いて社の前に立った。
 そして、少しばかりその外観を見つめていたが、やがて意を決して中へ入っていく。
「ああ、魔導具には両手を――」
「グレン、ちょっと来て!」
 フィマの言葉を遮って、リシュアが叫んだ。
 反射的に駆けだそうとしたグレインを、フィマが止める。
「だめです、リシュアちゃん以外の第三者が社に入れば、加護は機能しなくなってしまいます。そのように社は設定されているのです」
「・・・どうした、リシュア。何があった?」
「グレンの剣とよく似たのがある。ほとんど同じかも。・・・これが加護を受ける魔導具なの?」
 グレインは、自分の腰に佩いている装飾剣を見下ろした。

 


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