|
S a c r i f i c e / サ ク リ フ ァ イ ス
第一章( 4 )
真っ白な霧の中を騎士とふたり、彷徨っていた。
方向感覚が狂っていて、どこにいるか分からない。城も城下もすべて包みこむ霧は自然発生的なものでないのは明らかだったが、それを考えているところではない。
「避難場所は王族霊園、騎士団ギルド、ラミル氏の硝子工場です」
「どこに向かっているか分からないけど・・・できれば霊園に行きたい」
家族は無事にたどり着けているだろうかと心配になる。
「魔導師と思われる黒衣の者たちが横行しています、ご注意を」
「だいぶ静かにはなってきたな」
「ええ。じきに鎮圧できるでしょう。ただ」
騎士は口を噤んだ。
よくないことが起こった雰囲気は、一介の騎士に過ぎない彼が自分を迎えに来たことで分かっていた。王族の護衛は、基本的に階級を持つ騎士にしか任せられないのだ。
「・・・あれは?」
騎士が足を止める。自然と自分も足を止めて、彼が目を凝らしている方向を見た。
白い霧にまぎれて金色が動いている。
ものすごい速度で。
「フレイス! フレイスじゃないか?!」
「――ワスティアさん」
人間とは思えない速度で走っていた彼は、足を止めて駆けてきた。
自分と幾つも離れていない、二年前に入団したばかりの非常に若い騎士。
「殿下。なぜここに」
「城の者を避難させてくださったのだが、ご自分は逃げ遅れていらっしゃったのです」
「無理をなさる」
眉を寄せるのが、まるで大人のように精悍な表情だった。
若い騎士フレイスは同僚に問う。
「硝子工場へ向かうのですか?」
「いや、とにかく城から離れていただけで、おれたちはまったく方向が分からない」
「・・・方向が分からない?」
「分かるのか、フレイス」
「このまま路地を行くと硝子工場です。王族霊園は逆方向にあります。・・・この霧は魔導のようですね。先に硝子工場へ行き、魔導師と合流してから霊園に向かえば迷うことはないでしょう。ある程度の魔力を持つ者には効かない霧です。奴らも広範囲には良質なものが展開できなかったらしい。たいしたことないか・・・」
ぶつぶつと言っていたフレイスは、やがて顔を上げた。
目が合う。
とても強い、獣のような目をしていた。
「これから王城へ行きます」
「逃げ遅れた人はいないようだが?」
「用事があるのです」
精悍さが思い詰めた表情に変わる。
最初で最後に見た、彼の年相応の表情だった。
「なあフレイス。親父さんのことは・・・」
「聞いてます。国王夫妻を守って死ねたのなら本望だったことでしょう」
戦死したのか!
騎士団長ヴェナールが?
彼の父が。
「――これ以上、話している暇がありません。行きます」
「気を付けろよ」
「ワスティアさんも。何があっても殿下をお守りしてください。・・・殿下」
彼はまっすぐに自分の目を射た。
「私に何かあったら、どうか妹のことをお願いいたします」
彼に妹がいることをそこで初めて知った。
***
半ば強制されるように瞼が開いた。
夢を見ていたらしい。
「ん?」
ふと、うざったいくらいに綺麗な顔が視界いっぱいに広がる。
「アップで耐えられる顔は良いな」
「レイツも十分耐えられると思うけど」
青い髪に青い目。スコルツァがじっとグレインを覗きこんでいた。
ずっと外に出ていたのだろうか、潮の匂いがする。
「そとに・・・」
「ちょっと前までね。少し寝てからレイツの様子見にきた。うなされてたね」
「魘されてたか?」
「わりと。フレイスって言ってた」
当たり前のことだろう。
その人の夢を見たのだから。
「リーアのお兄さんの名前だよね」
「ああ」
弱冠十四歳にして、精鋭を誇るセインレドの王国騎士団に入団した天才的な剣士。
その二年後、あの異常な霧の中、城に向かう後姿を最後に、忽然といなくなってしまったリシュアの兄。
「霧生の乱の夢を見ていたの?」
霧生の乱。
八年前にセインレドとその隣国マーベリックを中心に巻き起こった謎の戦乱の呼称である。
国民の半数が精鋭の王国騎士団員と魔導師で構成されているセインレドですら数十人の被害者を出し、隣国のマーベリックに至っては国王夫妻を初めとした国民の半数が死に、国家壊滅の危機にまで至るほどの大規模な戦乱だった。
戦乱とはいっても、人間同士の争いではない。
“魔族”と呼ばれる異形の者たちが、何の前触れもなく、突如として大量に攻め寄せてきたのだ。――セインレドのある北西大陸では絶滅したとされている魔族が。
それらは街やひとの身体だけではなく、心にも傷を残していった。たとえば、王城にも魔の手を伸ばしてきたそれらから逃げる最中、その異形の姿を見たグレインの妹姫のプリムローズは、その時のトラウマで王城から一歩も外に出ることができなくなってしまった。
リシュアだって、肉親を一度に亡くして――兄のフレイスは乱の終息間際に自ら姿をくらましたようだが――大きなショックを受けていた。
グレインはあの時、使用人すらほとんど残らなかったエリクティル家の屋敷の前で、ひとり座り込んでいた小さなリシュアの顔を今でも思い出せる。乾いた眼でぼんやりと虚空を見つめていた、死人のような少女の表情を。
彼女は今頃、どのような夢を見ているのだろう。
おなじように霧生の乱の夢を見ているだろうか。
「災厄と聞くと、俺はいつもあの乱のことを思い出す。――だからそんな夢を見たんだろ。さて、リシュアを起こしに行くか」
「そうだね」
乱の記憶を持たないスコルツァは、代わりにあの人魚の表情を思い出していた。
――あたし、母さんを殺したのかなあ
――わからないんだよ
(分からないことが多いのは気持ち悪いな・・・)
スコルツァが、そんなことを思ったのは初めてだった。
知らないことは知らなくていいし、分からないならそれでいいと思って生きてきたから。
「・・・行くか」
「うん」
二人は揃って船室を出た。
蒼海は名の通り、今日も空のように蒼くて美しい色をしていた。
***
相変わらず寝ぎたないリシュアを揺り起こして船室で朝食を摂り、甲板に出てみると、遠くにうっすらと港らしきものが見えた。
ヴァルディール王国最大の港町、アンゼリカである。
「きれいな港だね」
「ああ。世界でも五指に入るほど規模の大きい港町だ。唯一、水上都市ウィルニーに続く航路があるしな」
「そこで人魚族の族長と会うんでしょ? 人魚も出入りするの? ウィルニーって」
「ああ。それどころか住んでる者も少なからずいる」
それを聞いてスコルツァは再び昨日の人魚を思い出す。セリアと言った。
――あの少女とは、どこか懐かしいような感じの、何か響き合うものがある。
何なのだろう。
(ま、いっか)
考えても分からないものはすっぱりと諦めて、スコルツァはフードを被り、吸血鬼特有の青髪をすっぽりと覆い隠した。目元も隠れるようにする。
そして、魔導船が港に着いた。
セインレドの王子が来航となれば騒ぎが大きくなったり、不穏な輩が出たりするので、公的な訪問ではない今回は身分を隠して一般船と共に出入りすることになっている。
「気を付けてお降りください」
船員に扮した騎士が架けてくれた橋から、三人はアンゼリカに降り立った。
← / × / →
|