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 栖さんが父母と話をしている間、私は再び医療小屋に戻り、黙って窓辺で庭園を眺めていた。
 高志医師は、栖さんが迎えに来てくれたことを本当に喜んでくれたが、私が浮かない顔つきをしていたのか、不安げなようだった。
「医師は、栖さんとも面識があったのですね」
「いえ。お手紙を差し上げたのは、先月の一度きりです。ご両親から聞いて私のことはご存知だったようですが。お返事がなかったので、これはもしやと思っておりました」
「普通逆ではないの? お返事がなければ悪い方向に考えるでしょうに」
「私は、お嬢様を嫁に貰ってくれなどという出過ぎた内容の手紙は送っておりません。栖氏のお母上の手紙から、栖氏がお嬢様について心配なさっているということを知り、近況を書き送っただけです。立派な貴族ともあろう方が返事もせずに放置するとは考えにくい。郵便事故かと疑いもしましたが、その後彼のお母上から手紙が届いた旨が知らされました。彼が家をあけているということも。――急いで火旺国へ向かったのではないかと、内心、期待していたのです。お嬢様は出過ぎた真似をとお怒りになるかもしれませんが」
 咎める気はなかった。彼が善かれと思ってしたことなのだし、両親だって大いに安堵したはずだ。あとは栖さんの真意を聞きたい。なぜ私を迎えに来たのか、その理由を。
「ご両親ほどではないですが、私もお嬢様には幸せになっていただきたいと願っています」
「ありがとう」
「はっきり申し上げますと、お嬢様は乗り気ではないように見えますね」
「・・・・・・。果たしていない約束や、返していない恩が沢山あるのよ。それを投げ捨てて、すがっていいものかと思っているの。栖さんがまたお父様とお母様のところに言ったのは、私のわがままのせい。お父様やお母様が、私に健やかな環境で生き続けてほしい、そして王侯貴族の没落と運命をともにしたいと願っていることは分かっているのに」
「火旺国の王政の一角を担ってきた公爵としての誇り高き矜持と責任感でしょうな」
「栖さんも分かっていたのに、私が困らせるようなことを言ったから、説得しに行ってくださったんだわ。お父様もお母様も、栖さんのことも困らせてしまった」
「困らせちゃいないよ」
 開け放たれたままだった医療小屋の扉から、栖さんが入ってきた。
「その気持ちがとても嬉しいと仰っていた。けれどやはり、この国の古き血統主義および貴族制度の廃止と運命を共にしたいとのことだった。あなたには新しい時代で生きてほしいと心から願っておられた。――最後に決めるのは、お嬢さんだが」
 強烈な色合いではないのに、奇妙に人の心に残るような若草色の瞳が、まっすぐに私を見た。
「俺との結婚のことは考えなくていい。ただ、この国を出るか出ないか。それだけはすぐに決めなければいけない」
「行きます」
 考える間もなく即答した。
 だって行くしかないじゃない。
 まだ心の引きずられる部分はたくさんあるけれど、お父様とお母様の願い通りに生き抜いてみせると決めたから。
「連れて行ってください」
「――責任を持って」
 栖さんは胸に左手を当てて目を閉じ、私に誓ってくれた。
「父母に挨拶をして参ります」
「荷物はまとめてあるかな」
「私室の方に。執事がまだ残ってくれているから、彼に頼みます」
「分かった」
「すぐに済みます。馬車でお待ちになっていてください。・・・医師、本当にありがとうございました」
 背筋を伸ばして医療小屋を出る。
 中庭を早足で突っ切り、ただ一人残ってくれていた初老の執事を探す。
 玄関ホールの隅に立っていた彼は、私を見て目を細め、一礼した。
「私室にまとめてある荷物を、外の馬車に積んでおいてほしいの。大した量じゃないわ」
「畏まりました」
「・・・あなたの実家は、この近くよね」
「はい。少し下ったところにあります」
「いつかこの屋敷に、金色の髪をした異国の方が来たら、伝えて欲しいことがあるの」
 執事に一言告げてから、彼と別れの挨拶を交わす。
 応接間の扉の前に立つ。
 深呼吸。
 開ければもう後戻りはできない。
(泣かない)
 別れや嘆きの言葉より、感謝と未来への希望を告げる。
 ゆっくりと扉を開くと、同じようにゆっくりと父母が振り向いた。
 その優しい目に、私は笑顔で語りかける。
「行ってまいります。お父様、お母様、ありがとうございました」
「――ありがとう、愛結」
「身体に気を付けて過ごすのよ。あなたの幸せを願っているわ」
 互いに笑顔のまま。私は踵を返して歩いて行く。
 父母のあの微笑みを、一生忘れずに生きていくことになるだろう。



 栖さんは玄関の前で待っていた。
 手を借りて、馬車に乗り込む。なんの見送りもなく、私は生まれてからずっと過ごしてきた屋敷、そして王国に別れを告げる。
 馬車は、活気づく市井を通っていく。かつて平民と呼ばれていた人たちが、楽しそうに、賑やかに往来している。
(誰のことも恨まない。だからどうか、新しく生まれ変わる火旺国を、善いものに)
 古き血統主義に殉じた人々の存在が無駄にならないように。
 市井を通り過ぎ、再び前方に目を戻した私に、栖さんが言った。
「詩絵さんと静が会いたがっている。エウール公国でしばらく過ごそうか」
「はい」
「火旺国を出たらすぐに自動車に乗り換える。紗那から火旺国の国境まではそれで来たんだ。あまりに急いで飛ばしたから、勢い余って火旺国の国境までそれで突っ切りそうになった」
「まあ」
「その内、取り入れられるかもな。この国にも」
「便利ですもの。事故が起きて危ないとも言いますけれど、そういった機械の類をもっと取り入れた方が繁栄に繋がると思います」
 何もかも生まれ変わってしまった方がいいのだ。
 そうでないと報われない。
「自動車には乗ったのは三年前か。この前に会ったときだもんな」
「はい。ちょっと怖かったです」
「安全運転するようにするよ」
「栖さんが運転してこられたのですか?」
「ああ。この御者さんは、国境で雇った人だから」
 異国風の顔立ちの御者さんが、少し振り返ってにっこり笑う。愛想のいい人だ。
 私も微笑み返して、ゆっくりと外を見た。
「いいお天気ですね――東の方も、晴れているでしょうか」
「天気予報でいえば、しばらくはエウールも紗那も晴れ続きだ。その向こうの国も」
 あのひとたちが流浪しているはずの東大陸もそうなのだろうか。
 私は執事に託した言伝を思い出す。
 伝えられる日が来るのかも、ちゃんと伝わるのかも分からない短い言葉。

 馬車は国境を越えた。




憧れと共に往く

 



 



 



 

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