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結局は毎日通い詰めて、目覚めた状態の彼と出会ったのは四日目の夜のことだった。
ちゃんと視て知りたいと思って、浮さんにも訊かないでおいた瞳の色は蒼。私は暖色系の色だと思っていたのだけれど、予想ははずれた。かたちはそうでもないのだけれど、瞳孔が少し縦長に裂けていて猫のようだと思った。詩絵お姉様に少し似ている。
「・・・ええと」
彼が目覚めたら目覚めたで、動揺のあまり口ごもった私とは正反対に、起き抜けだったらしい彼は、それでもすぐに状況を把握したらしくゆっくりと頭を下げた。
「はじめまして。朱鳥、といいます」
「鳳・・・愛結です」
「あなたが、おれの婚約者にされたお嬢さん?」
頷くと、彼は苦笑いしつつ私にソファを勧めた。自分も向かい側の椅子に腰掛ける。私は、持ってきた小さな菓子箱をテーブルに置いて、勧められたとおりに腰掛けた。彼の目は、私が持ってきた菓子箱からじっと動かなかった。私は慌てて言った。
「召し上がる? うちの料理長が作ったお菓子だけれど・・・」
「ああ、お腹は空いてないんだ。でもありがとう」
と言って、彼は菓子箱を持ち上げた。
「そうじゃなくて。このシール・・・」
「シール?」
指された場所を見ると、馬に翼が生えたようなシルエットが描かれた小さなシールが、菓子箱の隅に貼ってある。こんなものあったかしら。気付かなかったと言うと、彼は眉をしかめた。
「・・・最近、屋敷やその周辺に、新参者が来なかった?」
「新参者は・・・思いっきり来てるけど。あなたの知り合いだと言っていたわよ、浮さんという医者の男性」
「浮?」
抑揚の少ない喋り方をしていたから叫ぶという感じはしなかったけれど、それでも驚きようからすると叫んだのと同じなようだ。気圧されつつもそうよ、と頷くと、彼は深い溜息を吐いた。
「誰かしら来るとは思っていたけど・・・浮か」
「問題でもあるの?」
「いや、大きなものは特にない・・・と思う。ただ・・・唄が」
「浮さんの妹さんでしょう?」
訊くと、彼は少し複雑そうな顔をした。
「浮はいま、あなたの屋敷に?」
「中庭にある医療部屋・・・小屋みたいなところだけれど、そこに住み込みでいる高志医師っていうお医者さまのところに居候しているわ」
「高志・・・は、老か」
長老という意味なのだろう。確かに、昔は詩絵お姉様に、今は私にやり込められている時はそう思えないが、高志医師は仕事に関してはとても威厳があって、皆が反射的に言うことを聞いてしまいそうな雰囲気が出ている。流浪していた時代も、すごい人だったのだろうか。
彼はしばらく押し黙っていたが、やがて私が勧めた菓子をひとつ食べると、おいしいと人懐っこく微笑んで、しかしすぐに洗面台のほうへ立っていった。ご丁寧に揃えられた生活用品の中から、いかにも新品らしい歯ブラシを取り出して、無造作に歯をみがき始める。私は目を丸くした。
「いつ眠ってしまうかわからないから、何かを食べたらすぐに歯をみがかないと。虫歯になりたくないし」
と、戻ってきて彼は言った。
「浮から、おれの病気のことは訊いた?」
「過眠症と言っていたけれど」
「実は、もう眠い。もし会話の途中で眠ってしまったら、そのまま放っておいて帰って」
「さっき起きたばかりなのに・・・」
本当なら心の中で言うべきことを、私は口に出してしまった!
けれど彼は、いやな顔ひとつせずに笑って頷いた。
「おれは、赤子の時からそうだったらしい。周囲の話では」
プライベートなことにあれこれと口を出したり訊いたりするのは、淑女としての嗜みから外れたことではあるが、好奇心がどんどん大きさを増していって、むずがゆくなった。
よほど顔に出ていたのだろう、彼は変な顔をした。
「なにか? 訊きたいことがあるなら。おれは社交界の紳士じゃないし」
「あの・・・普段おしゃべりな方だと言われたりする?」
とっさに出てきた質問は我ながら奇妙というか、何か他に訊くことがあっただろうにと思う。
でも、おとなしそうというか、冷静そうな見た目に反して人懐っこく喋ったり笑ったりするから、思わずそう訊いてしまったのだと思う。
彼は笑って、首を振った。
「まったく言われない。流浪している間も、ほとんど寝て過ごしてるから」
眠っているのだから喋れないのはあたりまえだ。答に成っていない。
どうでもいいような質問をした私が悪いのかもしれないけれど。
「あまり長居しても、ご両親が心配するだろうね」
「まいにち、ここにきて一時間経つ前に帰るようにしているわ」
「帰って、浮に会うようだったら、言伝をお願いしたい」
私に気を使っているのも確かに半分あるだろうけれど、彼はほんとうは、そろそろ眠気に耐えられなくなってきているのだろうと私は考えた。事実それは間違っていなかったようで、次第に彼の瞼は重く下がっては、気付いたように見開かれることを連続しはじめた。
とくに気にしないようにしながら、私は了承した。
「いいわよ。いつも帰ったら報告することになっているの、彼に」
報告という言葉はすこし悪かったかと思ったが、彼は気にする様子はなかった。
「じゃあ、一言だけ。――『唄はわたさない』と」

なぜか私はその時、心臓にちいさな一撃を与えられたのだ。
驚きが大きかったように、自分では思う。だが真摯すぎる彼の目つきを直視したせいかもしれないし、あるいは――でも、それはありえなかった。私自身、彼に好意をいだいたことは確かだが、決して恋愛的な要素のまじるものではない。事実、私はまだあの若草色の瞳を忘れられずにいるのだから。
「さようなら」
半分眠りかけながら、別れ際に見送ってくれた彼の、茫洋とした瞳の色は目が覚めるような青。その奇妙な取り合わせは私の心を惹いて、ふかく印象に残った。
ふしぎな人だと思う。
育ってきた環境のちがいなどを差し引いても。
(――でも、私はいま、あの暖かな若草色の瞳がみたい)
そう思ってから、ふと気付く。どうして今日はこんなにもしつこく、あのひとを想うのだろう? 王宮を出たところで、私は考えるのを止めて、待っていた馬車に乗り込んだ。

 

屋敷に戻って、私はまっすぐに中庭の医療部屋へ向かった。
「浮さん、浮さん」
「おてんばお嬢さん、やけに興奮しているな。さては朱鳥が目覚めたか」
「そうなのよ。瞳の色は、蒼だったのね」
自分で言っておきながら、彼が目覚めたということを私が肯定した時、浮さんは驚いた。二階で就寝している高志医師に気を使って、私達は暖かなコーヒーを持って中庭に出る。
「浮さんへ言伝をあずかったわ」
「言伝?」
「剣呑ではないけれど、とても真剣な目をしていたわ。『唄はわたさない』って」
隣でまっすぐ前を見つめていた浮さんは、ふっと苦笑してコーヒーに口をつけた。
「ほかには?」
「なかったわ。それだけよ。それから――あの馬に翼が生えたようなシルエットのシールをお菓子箱に貼ったのは、浮さんなの? 彼が気にしていたわ」
「ああ、俺だよ。一応な、おまえを迎えに来ているよってことで」
浮さんが来て五日になるけれど、私達はだいぶ打ち解けて話していた。ひとつには、彼の飾り気がない率直な態度が、私はとても好感が持てたからだ。平手打ちしたことを謝ったら、笑いながら流してくれた。気性が激しい私も、浮さんから彼――なんて呼んだらいいのかわからなくて、ずっと『彼』と呼んでいる――のお話を聞くにつれ好奇心のほうが首をもたげてきて、婚約者云々のことはひとまずどうでもよくなった。お父様とは未だにあまり口をきかないけれど。
そして今日会ってみて、私は浮さんと同じように、彼にたいしても好感を持った。
とかく正直というか、率直で、なれなれしく笑ったり面白いときには声をあげて笑ったりするのが、私は好きだと思ったのだ。社交界では決して美徳とされない幾つかのことを私がした時も、彼らは気にも留めなかった。
「私は流浪していたほうが、生来の性分にはあっていたのかしら」
「まあ少しは、そう思うな。だが、貴族生活に慣れちまって、いまは流浪しても厳しいだけだろうが」
「すこしの間なら憧れるわ」
「馬には乗れるか?」
「たしなみで、多少は」
「朱鳥は馬に乗るのが大層うまいんだ。まあ、眠っちまうことも多かったけどな」
馬上で寝たら落ちて怪我するじゃない! と(夜ということで多少はばかってはいたが)叫んだ私に、浮さんはけらけらと笑いたてながら首を振った。
「馬は朱鳥を落としたりしないさ。そういう時はゆっくり減速して、止まるんだ」
「かしこい馬なのね」
「どんな駄馬でも、朱鳥に対してはそうさ。朱鳥は特別だからな」
浮さんと会話した五日間のうち、三日はこの言葉が出てきた。あすかはとくべつ。あすかはなくてはならないそんざいだ――。私は、もう我慢できなくて、訊くことにした。
彼だって、『おれは社交界の紳士じゃないし』と言ったのだし、浮さんだってそうだろう。訊かれたくないことを口に出すとも思えないし、もし答えたくなければそれでいいのだから。
私がたずねようと浮さんのほうに向き直ったとき、ちょうど浮さんが口を開いた。
まるで私が訊こうとしていたことを知っていたかのように。
「愛結お嬢さんは感じなかったか? 朱鳥の、不思議な――神秘的な、気を」
「気?」
「身にまとう雰囲気というか・・・とにかく、特殊性だ」
言われてみて、私はすぐに思い当たった。
けれどそれは、眠気に茫洋とした目つきの奥の真っ青な瞳の色に対してのものだったかもしれない。彼自身は年不相応なほどの人懐っこさと、飾り気のなさと、表立ってはいなかったようだけれど、根底にはしっかりとした礼節が見て取れた。
神秘性というのはもっと、全体的に茫洋としていておぼろげなイメージだ。
それを浮さんに伝えると、浮さんはにっこりと笑った。
「お嬢さんは気付いているかな。お父上と大声で言い争いするほど反発を持っていたあなたが、眠っているとはいえ朱鳥に出会ったあと、瞳の色を見たいという理由だけだったかもしれないが――自分から朱鳥に会いにいっただろう。いまも、楽しそうに語っている。もう朱鳥への反発はないだろう?」
「婚約者としては考えられないけれど、彼自身はなんだか――そう、いいひとだもの」
どう考えても神秘性のせいだとは思えなかった。私は彼に神秘というものはまったく感じない。以前に街で見かけた占い師の老婆のような、ああいう感じのものに神秘という言葉があう気がする。彼はただ、人より眠りすぎるという点のほか、何も『異常な』――という言い方は悪いかもしれないが、『神秘性』というのはある意味そうだと私は思う――点はなかったように思えた。
いったい浮さんは、彼にどんな神秘性を感じ畏れているのだろう。
畏れ。浮さんが彼について話す時、時々それが見え隠れした。熱心な宗教信者に少し似ている。
「お嬢さん、どうかしたか?」
「いいえ。・・・とりあえず、言伝はお伝えしたけど。あなたからは、ある?」
「明日も行ってくれるのか?」
「あなたのお話も彼のお話も、とても面白いわ。彼が迷惑がったりしなければ、予定のつく限り行こうと思う。――明後日はたしか、お友達のひらく夜会があるから、行けないと思うけれど」
「言伝。・・・そうだなあ、特にはないな。ただいずれは、この国からの脱出について話し合わなければいけないが。そうとだけ伝えてくれ」
彼と浮さんが国を出たら、私はもう面白いお話が聞けなくなるのだ。本で読むよりも(元々そんなに読む性質ではないが)語り手から聞くほうが、お話はとても面白いと思う。今の内にたくさん聞いておこう、と思った。
「そうだ。お嬢さん、あとひとつ」
コーヒーカップを浮さんに渡して、屋敷に戻ろうとしたとき、後ろから呼び止められた。
「狭霧国王のご子息、縲王子の死因は知っているか?」
私は首を振った。
縲さまがお亡くなりになったのは、二年ほど前のことだ。その後、今から一年ほど前に、この国さいごの王族であった狭霧国王もお亡くなりになった。狭霧国王については疲労によるご病気であるとは知っていたが、縲さまの死因は未だにはっきり知らない。
「ただ、ご病気で、としか。・・・けれど私、縲さまに何度かお会いしたことがあるけれど、健康でいらしたと思ったわ。急病か何かだったのかしら」
「調べがつかないか?」
「城の者達も、大部分が知らないと思うわ。隠されているような気すらするの。・・・狭霧国王と比較的に親しかった、お父様だったら知っているかもしれないけれど、私にお隠しになったことからすると、お話してくれるとは思えないわ」
「だろうな。他に知る手はないか? 朱鳥の病気の、鍵になるかもしれないんだ」
縲王子の死因がどうして、過眠症を治療する鍵になるのかしら。
ふたりは、はらちがいの兄弟ということが関係しているのだろうか? けれど縲さまが睡眠に関してなにか異常を持っていたとは、当時のことから考えても、到底ありとは思えなかった。
「だめか?」
「・・・詩絵お姉様なら、どうかしら。お父様は、じつはお母様よりお姉様のほうに大事なことを任せることのほうが多かったの。お母様はいいひとだけど、のんびりしすぎているのだもの」
「手紙でもいい。訊ねてみてくれるか」
「ええ、いいわよ」
そういえばお姉様へ最後に手紙を送ったのは、二月ほど前のことだ。
さっそく今夜書こうと思いながら、今度こそ浮さんに就寝の挨拶を告げて、私はお部屋に戻った。

 

  

 

 

 

 

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